ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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壁に描かれているあの落書き、恐怖のモディリアーニじゃん日記。

二日続いて雨が降り、三日目の朝に雨がやんだかと思ったら、いま再びザアザアと雨が降り出した。

 

今日は朝早く起き、卵焼きと、きゅうりと大根のぬか漬けと、アゴの佃煮と、大根と油揚げの味噌汁と白米の朝食をとり、間髪容れずに、雨のやんでいるすきを縫ってジョギングに出かけた。

 

玄関先にはられている小さな蜘蛛の巣に、この夏中、黒々とした大きな尻をした蜘蛛が居座っていたが、一週間ほど前から抜け殻を残してどこかに消えてしまった。マフィアの腕に彫ってあるタトゥーの如き容姿の本当に真っ黒な蜘蛛で、観ていてあまり心地のいい類の蜘蛛ではなかったが、いなくなってみると何だか物寂しい気分だった。

 

しかし今朝になって玄関を出てみると、取り残された抜け殻の隣に、見たことのない別の蜘蛛が居座って抜け殻を覗き込んでいた。もしかすると黒蜘蛛の抜け殻かと思っていたものは抜け殻ではなく、別の種類の蜘蛛の遺骸だったのだろうか。その遺骸となった蜘蛛の仲間が追悼にやって来たのだろうか。いずれにせよ、玄関の外には動かなくなった抜け殻のような蜘蛛の体と、生きている蜘蛛がじっとしている。苦もなく取り去ることの出来るその混沌を野放しにしているのは、あるいは自らの寂しさを紛らわせるためかもしれない。

 

それからしばらく曇り空を見上げながらの軽いジョギングを終えて、赤ワインとたまごとバゲットを買って家に帰ってきた。幸い走っている間には雨粒は落ちてこなかったが、今再び外では雨がザアザアと声をあげている。

 

この地に住み着いてから出来た知り合いはほとんどいない。具体的には全部で四人で、古本屋の主人と、酒屋の主人と、パン屋の夫婦である。そしてすべてあくまでも知り合いの域を出てはおらず、顔を知り合っているという関係である。それぞれの店に赴いても、挨拶程度の言葉しか交わさない。しかし知り合いではある。

 

本が恋しくなると古本屋にゆき、日本酒が飲みたくなると酒屋にゆき、夕の主食であるバゲットやカンパーニュを得るためにパン屋にゆく。そうやっている内にいつの間にか知り合いになった。

 

端からは人付き合いが良さそうに見えるようだが、極度の人見知りで人付き合いは苦手である。孤独には慣れているが人が嫌いなわけではないし、ある種類の人々からは大いに好かれるようである。そのことに関係するかどうかはわからないが、道端で見知らぬ他人によく声を掛けられたり道を聞かれたりする。大抵の場合それは、老人か外国人か、あるいはカタギではない人々であったりする。ある意味では、異人か悪者に好かれるようにも思える。そういう自分自身の側面は案外気に入っている。

 

数年前からずいぶん久しぶりにウェブログなるものを改めてはじめてみて、顔は知らないけれども擬似的な顔見知りのような人々が何人かいる。しかしあくまでもインターネットを介しているので、こちらの勝手な妄想による知り合いかもしれないし、もし現実世界のどこかの道端で偶然すれ違っても、気が付かないだろう。

 

定期的に読んでいる他人のウェブログは大いに少ない。それは自身が人見知りで、人付き合いが苦手なことに関係しているかもしれない。

 

ただ書いている文章を読んでみて、なんとなく好みの匂いを放つ人というものがいる。その逆もしかりである。その匂いというのは、単なる趣味嗜好の一致であったり、文体であったり、思想であったり、内容の質であったり、単にそういうものとは若干違う。その上に漂っている靄なり霧のような部分に本質が含まれていて、そこから何かしらのものが匂ってくる。

 

匂いにつられて時々、その人のウェブログに様々な形で挨拶してみたりする。挨拶するのは嫌いではないからである。

 

今、窓の外から光が差し込んできた。雨が鳴き止み、蝉がミンミンミーと鳴き始めた。

 

きょうは何の予定もないのである。つい数年前までは、何の予定もない日に予定を詰め込まないともったいないような気がして困惑したが、この頃はもう、予定がない日は予定がないなりに過ごせるようになったかもしれない。つまりそれは、闇雲にハチャメチャに混沌たる日を過ごせるわけで、そういう日を過ごしてしまうと、もう明日は来なくてもいいと思える。明けない夜がなくたって、止まない雨がなくたって、それはそれでいいのである。

 

というわけで、雨のやんでいる間を縫ってもう一度ジョギングに出て、途中の道端で「オープンセサミ!」と叫びながら横断歩道目掛けてヘッドスライディングをして負傷し、額から血を流しながらその足でレンタル店にホラー映画を借りにゆくと見せかけてから、今度は道脇の川に飛び込み、額の血を洗い流してからおもむろに川エビを生で喰らい、川の水をがぶ飲みにしつつ、しかしやはりホラー映画を借りたくなってレンタル店に入るが、ズブ濡れで有人カウンターに顔をだすのは気がひけるので、「アダルトでセクシーなソフトを借りるわけではないけれど、今日はセルフレジを使うぞ!」と声に出して自己主張し、その帰りしなに店の駐車場の壁に怖い落書きがしてあるなあと思ってよく見たらアメデオ・モディリアーニの絵画だった、という、ついうっかり綿密な予定や予言を立ててしまい、予定も予言もないはずの今日が、不吉な予定と予言に包み込まれつつある、暗黒の火曜日の最中である。

 

こんなくだらない駄文日記をうっかり読んでしまった奇特な方へ、素敵な一日を。

 

今日のラッキーアイテムは、道端に落ちている「モディリアーニの画集」です。

 

壁に描かれているあの落書き、恐怖のモディリアーニじゃん日記。

 

 

 

美の20世紀〈3〉モディリアーニ (美の20世紀 3)

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モディリアーニ 真実の愛 [DVD]

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月白貉