ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲が自らの感覚で日本を歩きまわって見聞を広めたように、故郷を離れて旅を続けるぼくが、ぼくの感覚でその土地を歩き回って、見たり聞いたり嗅いだり触ったりした、ぼくの見聞録です。

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ポケモンが見えるサングラスGO

夜明けを少し過ぎたある夏の日の朝、目を覚ますと、ベットの隣で香澄がうつ伏せになって、苦しそうにカタカタウーウーと音を立てている。

 

どうやらいつもの偏頭痛が激しく襲いかかってきているようで、身動きはまったくしないが、体内のモーター音だけが唸りを上げているようだった。

 

「ねえ聡、きょう、もう少し横になってて、いい・・・?」

 

「ああ、いいよ、朝は適当に食べるから、寝てなさいよ。」

 

ぼくはそう言うとしばらくの間、香澄の背中に右手を当てながら、静まり返った池のようなまどろみの中で、プカプカと浮き沈みしていた。

 

気が付くと、ぼくの手はベットの上にペタンと落っこちていて、台所の方から水道の水を流す音だったり、食器がパタパタと置かれる音なんかが聞こえてくる。香澄が朝食の準備をしている音だろう。ぼくはガバッとベットから起き上がってゆっくり伸びをする。寝室のまだ開けられていないカーテンが空からの陽の光を受けて、柔らかなオレンジ色を帯びている。

 

台所に行って「おはよう。」と香澄に声をかけると、

 

「おはよう・・・。」

 

という、いるはずのない妖精が発した秘密の呪いのような声が宙に浮かんで、それはぼくのところまで届かずに、パチっとわずかに音を立てて、弾けて消えてしまった。

 

「きょうは自分で適当に済ませるから、無理しなくてもいいよ。」とだけ声をかけて洗面台で歯を磨いていると、台所から聞こえてくる音が唐突にピタリと止んで、何も聞こえなくなった。

 

急いで口を濯いで台所に行ってみると、香澄がまったく音を立てずに、おにぎりをにぎっていた。

 

「おかかのおにぎり、にぎるから。」

 

香澄の声に少しだけ色が戻り始めている。

 

「おう、わかった。じゃあ適当に食べるよ。」

 

ぼくはそう言ってリビングのテーブルでノートパソコンを開き、ブラウザを立ち上げてフェイスブックにログインする。そして一番上の投稿にだけ目を通して、すぐにログアウトする。ここ一年ほど、ぼくはフェイスブックに何も投稿をしていないし、他の誰かの投稿にもほとんど目を通していない。

 

窓から流れ込んでくる心地よい風とともに、外の通りから、小さな子どもとその母親らしき女性の声が聞こえてくる。直接見てはいないからわからないが、五歳か六歳ほどの男の子だろう。

 

「サングラスかけたい!サングラス!」

 

「そんなものいらないでしょ。」

 

「光がすごいよ!アツいアツい!!サングラスかけたい!かけたい!」

 

「あとでいいでしょ、いきますよ。」

 

「か〜け〜た〜い!か〜け〜た〜い!!」

 

「そんなものかけてもポケモンは見えないでしょ。」

 

そうやって、二人の声はぼくの耳から遠ざかり、フェードアウトしていった。

 

ポケモンは見えないでしょ・・・?」と、ぼくは最後に聞こえた母親の声を、口に出して小さく言ってみた。母親は確かに子どもにそう言っていた。しばらく頭の中がグルグルと音を鳴らす。

 

子どもはアツいからサングラスをかけたいと言っていた。母親の口から発せられたポケモンという言葉は、いったいどの部分を埋めるピースだったのだろうか。

 

充電のために床においていたスマートフォンがブーブーと震えた。

 

「聡、携帯鳴ってるよ、ポケモン出てきたんじゃないの?」

 

香澄の声が普段の色を取り戻している。

 

「おかかのおにぎりね、そっち持ってくから、食べてね。わたしちょっと横になってから、仕事行くね。」

 

一週間前に、香澄にせがまれて自分のスマートフォンポケモンGOのアプリをダウンロードしてみたものの、ぼくはそのアプリを、いまだに自宅の部屋の中でしか起動させていない。それでも時々、朝早くや夜遅くに、見知らぬポケモンがブーブーといってぼくのスマートフォンを震わせることがあった。

 

ポケモン出てきたんじゃないの?」

 

そうやって香澄は、ぼくのスマートフォンが部屋の中でブルブル震える音を耳にする度に、嬉しそうにぼくに声をかけてくるが、「どんなポケモンが出てきたのか、見てみたらいいんじゃない。」と言うと、「見なくてもいいの。」と返事をして、ニコニコと笑顔を浮かべた。

 

ぼくは床のスマートフォンを手に取り、画面を覗いてみる。大きなクラゲのようなポケモンが、マップ上にフワフワと浮かんでいる。

 

「クラゲみたいなやつだよ。」と香澄に声をかけると、こちらに振り返って弱々しい笑顔を浮かべた。声の色は戻っていたが、顔の色は雨の日のような灰色だった。

 

おにぎりを三つのせたお皿をぼくのところまで運んできた香澄は、「もうクラゲの出てくる季節だからかなあ。」と小さく言い残して、寝室に入っていた。

 

ぼくはそのクラゲは捕まえずに、スマートフォンをそっと床の上に戻した。

 

いまのぼくには、ポケモンGOはあまり必要はないけれど、ポケモンが見えるサングラスなんてものがもし発売されたら、香澄がきっとまた、さっきの子どもみたいに、それを買って欲しい、それを買って欲しいと言って、せがむかもしれない。そしてたぶん彼女は、自分ではそのサングラをかけずに、ぼくにかけてくれと言うに違いない。

 

ポケモンが見えるサングラスGO

 

「ねえ、今日のデートにはちゃんと、ポケモンが見えるサングラスGOをかけて出掛けてね。」

 

「ぼくがかけるの?それじゃあきみにはポケモンが見えないよ。」

 

「わたしは、見なくてもいいの。」

 

そうやって香澄は、ニコニコと笑って、ぼくの手を優しく握るに違いなかった。

 

お題「ポケモンGO」

 

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月白貉