ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲が自らの感覚で日本を歩きまわって見聞を広めたように、故郷を離れて旅を続けるぼくが、ぼくの感覚でその土地を歩き回って、見たり聞いたり嗅いだり触ったりした、ぼくの見聞録です。

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星空パウンドケーキ

帰り道、空を見上げたら星がきれいなので、「星がきれいだなあ。」と声に出してみる。

 

iPhoneのカメラでその星を撮ってみる。

 

真っ暗な空間が写るだけで、星は写らない。でも星がきれいなのだ。

 

しばらく歩いてから、もう一度空を仰いでiPhoneのカメラでその星を撮ってみる。

 

真っ暗な空間が写るだけで、やっぱり星は写らない。でも、星がきれいなのだ。

 

星を撮ろうとiPhoneを空にむけるたびに、手に持った紙袋を地面に落っことした。

 

紙袋にはバナナのパウンドケーキが入っている。「バナナのパウンドケーキを作ったので、食べてください。」と、近所の女の子からもらったものだ。まだ中身を見ていないので、本当にバナナのパウンドケーキが入っているのかどうかは、わからない。でも彼女がそう言うのだから、きっとバナナのパウンドケーキが入っているのだろう。

 

そうやって、iPhoneで夜空の星を撮ったり、真っ暗な空間に落胆したり、バナナのパウンドケーキが入った紙袋を地面に落っことしたり、何度か同じことを繰り返しながら歩いていたら、家についていた。

 

ぼくはたぶん、今までそうやって生きてきて、これからもそうやって生きてゆくのだろうと、そんな気がした。

 

家に入って電気をつけてから、女の子にもらった紙袋を開いてみると、中には確かにラップに包まれたパウンドケーキが二つ入っていた。

 

紙袋を台所に置いてシャワーを浴び、体を拭いたバスタオルを腰に巻いたまま、無造作にそのパウンドケーキのひとつを取り出して、ラップを開いてかじってみると、それは確かにパウンドケーキだったけれど、バナナではなく柿の入ったパウンドケーキだった。バナナなど一欠片も入ってはいなかった。

 

彼女はなんで、バナナのパウンドケーキを作ったので、なんて言ったのだろう。

 

柿のパウンドケーキを口の中でゆっくり咀嚼しながら、部屋着に着替えてベッドに寝転んだ。柿のパウンドケーキなんて生まれて初めて食べたけれど、柿のシンプルでほのかな甘さがパウンドケーキの柔らかさとマッチしていて、心地良いパウンドケーキだと、そう思った。

 

枕元においたiPhoneを手にとって、さっき撮影した夜空の写真をもう一度眺めてみた。しかしやはりそこには真っ暗な空間が写っているだけで、星は映っていなかった。

 

ベットから起き上がって、紙袋の中のもうひとつの方のパウンドケーキを取り出すと、ラップには紙テープがはられていて、黒のマジックで「バナナのパウンドケーキ」と書かれていた。

 

冷蔵庫から取り出したペットボトルのミネラルウォーターをコップに注ぎ、ラップを開けてパウンドケーキをかじってみると、それはバナナのパウンドケーキではなく、柿のパウンドケーキだった。

 

人生はいつだって思い通りになんかいかない。今この瞬間は過去の積み重ねの上に成り立っているわけではないし、今この瞬間は未来の為に存在するものでもない。

 

ベランダの窓を開けて空を見上げると、やっぱり星がきれいだったから、iPhoneのカメラでもう一度星を撮ってみる。

 

真っ暗な空間が写るだけで、やっぱり星は写らない。

 

でも、星が本当にきれいなのだ。

 

星空パウンドケーキ

 

 

 

 

月白貉