ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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二度も三度も通りたくなる、ありふれたトンネルの話。

久しく連絡を取っていなかった田崎から「いろいろなことに疲れてしまった。」という内容のメールが送られてきたのは、まだ緩やかな暑さの残る九月のはじめだった。

 

私がそのメールに対して、「久しぶりに山でも歩きにいかないか。」と返信をすると、すぐにいつにしようかというメールが返ってきた。

 

田崎とは大学三年の時にアルバイト先のゲームショップで知り合い、その当時にはよく、お互いの都合が合えば二人で酒を飲みに行った。その後、二人とも大学を卒業と同時にそのアルバイトは辞めてしまったのだが、彼との付き合いはしばらく続いていた。私は卒業後、小さな広告代理店に勤めだし、いっぽう彼は不動産会社に就職したようだったが、なかなか職場環境に恵まれなかったらしく、いろいろな業種に何度も転職を繰り返していたようだった。そして、特に何かの切っ掛けがあったわけではないのだが、ある日気が付くと、ほとんど顔を合わせなくなっていた。

 

私も田崎も、山登りを趣味にしていたわけではない。けれどまだ大学生の頃に時々、二人で登山とまではいかないような軽い山歩きに出かけることがあった。そして、そこには大きな、あるいは明確な目的があったわけではない。野草を採取するとか野鳥の観察をするとか、もしくはどこかに目的地を定めてその達成感を味わうとか、そういうことは一切なかった。ただ二人でふらりと、東京郊外や埼玉の奥の方の適当な山に朝早く電車で出かけて行って、あてもなく二人でふらふらと野山をさまよい歩き、ひとしきり歩き終わるとまた電車に乗って街に戻ってきてどこかの酒場で酒を飲む、ただそれだけのことだった。山を歩きながら、何かについて語り合うわけでもなく、どちらかといえば二人ともほとんど会話らしいものもせずに、ただひたすらに黙りこくって山道をさまよった。だから私はその時彼がどんなことを思いながら歩いているのかなんてことをまったく知らなかったし、もちろん私が何を考えて歩いているのかなんてことも、彼は知らなかったのだろう。

 

私はその日、あの頃と同じように早朝の池袋の駅で田崎と待ち合わせた。そして初乗り運賃の切符を購入し、二人で電車に乗り込み、どこへ行くとも考えなしに、どこかに向かった。

 

あの時、どこの駅で降りて、なんという山に分け入ったのか、もう忘れてしまった。ただその日、二人はやはりほとんど会話もせずにただひたすらに山道を歩き、空や樹々を見上げ、緑色をした山の匂いを吸い込み、お互いにそれぞれ、500ml入ペットボトルのミネラルウォーターを二本空にした。

 

その日の最後に、確か午後三時くらいだっただろうか、山を降りて駅に向かう途中で一本の古びたトンネルを通過した。もうほとんど廃れてしまって車も人も通らないような旧道にある、ずい分昔の時代のレンガ造りのようなトンネルだった。トンネルの中の距離は短く、入り口に立つと向こう側の出口がはっきりと見える程度のおそらくは百メートルもないようなものだったのだが、トンネルの内部には電灯のようなものは一切ついておらず、そこだけすっぽりと空間がもぎ取られてしまったような暗闇が口を開いていた。

 

二度も三度も通りたくなる、ありふれたトンネルの話。

 

「うわあ、年代モノだなあ、このトンネル・・・。」

 

「確かに。迂回路がないから、このトンネル潜るしかないけど、さすがにちょっと不気味だなあ・・・、中に電気ついてないし・・・、どうする?」

 

山にいる間にはまったく言葉を発していなかった二人だったが、そのトンネルの前まで来て立ち止まった私と田崎は、その日に課せられた会話のノルマをすべてそこでこなさなければいけないかのようにして、あるいはもしかしたら、その時同時に二人を襲った何かの不安をかき消すようにして、唐突に話し始めた。

 

「まあでも、出口すぐそこに見えてるし、いまさら戻るわけにもいかないしな・・・、ここ通るしかないよな。」

 

「はははっ、ちょっとビビってるだろ。」

 

「おまえもだろ。」

 

二人はそんなことを言い合いながら、そのトンネルの中に足を踏み入れていった。

 

おそらくどんなトンネルでもみな同じようにそうだと思うのだが、トンネルの中に入るとグンと空気の温度が下がった。一瞬何か嫌な気配にも感じたその冷気だったが、私も田崎もそのことにはまったく触れずに、少し早足になって、出口に向かって先を急いでいた。そして、おそらくこれも、どんなトンネルにも当てはまる事柄だとは思うのだが、トンネルの上の山からの何かしらの水分がトンネルの壁に染み出してきていて、その壁の所々にはおかしな形状の影のようなシミが出来ていた。

 

並んで歩いていた田崎が急に足を止めた。

 

「出口が、煙り過ぎじゃない・・・、さっきあんなに霧みたいなもの出てたっけ・・・?」

 

私もすでのそのことには気が付いていたのだが、あえて口には出していなかった。そのトンネルの中にいる間にそのことを口に出してしまうと、何かのトリガーがひかれてしまうのではないかという、漠然とした不安があったからだった。けれどやはり、田崎も同じことを思っていて、彼はそれをトンネルの中にいる間に、口に出した。

 

「うん・・・、さっきは、あんなじゃなかったな・・・。」

 

「なんかやな予感がする・・・、一回戻ろうかっ!」

 

「いやいやいや、戻るほうがやだよ、つ〜かさ、今この瞬間・・・、まあいいや、もうちょっとだからさ、早く出よう、ここ。」

 

私はその時、「今この瞬間振り返ったら、入り口に何かがいる気がする。」という軽い冗談めいたことを口に出そうとしたのだが、それを頭の中で思った瞬間に、それはまったく冗談などではなく、本当にそうかもしれないという明確な予感か予知のようなものに変わり、それが私に覆いかぶさってきた。だから私は無理矢理に飲み込むようにして、その言葉を押しとどめた。

 

再び歩き出した私と田崎の前方の壁に、ひときわ大きなシミがぼんやりと浮かび上がっていて、それは明らかに人の形をしているように、私の目には映った。そしてやはりそのことも、口にだすのが憚られた。そんなことを話している暇があるのであれば、一刻も早くこのトンネルから抜け出したいという気持ちが、私の体には満ち溢れていた。けれど再び、田崎が立ち止まってそのシミに指を刺した。

 

「完全に、人じゃねえ・・・?」

 

「そういうのは大抵はどれも人みたいに見えるんだよ、早く行こう。」

 

「だって・・・、動いてるし・・・。」

 

トンネル内の温度がさらに下がったのか、私の体温が一気に落ちたのかは分からないが、田崎のその言葉を聞いた瞬間に、まるで雪崩のような寒気が身を襲った。

 

「なんてねっ、自分で言って怖くなっちゃった・・・、つかさあ、ちょっと一回戻らない?」

 

「いやいや・・・、マジで、頼むわ・・・、ていうか何で戻るんだよっ、もう、黙って早くトンネルでようぜっ。」

 

私は田崎には構わずに先に歩き出した。田崎が私を追うようにして、軽い笑い声を上げながらついてきた。田崎の笑い声はトンネル内でおかしな具合に反響して、まるで誰か別人の笑い声のように、私の耳には聞こえていた。

 

そうしてやっとのことで、二人はトンネルの出口までたどり着いた。

 

先ほどトンネルの中から見えていたように、トンネルを出た場所にはずいぶんと濃い霧が立ち上って漂っていた。霧について詳しいことはよくわからないが、たとえ山間部だったとしても、この時期のこんな時間に、こんなに濃い霧が発生するものなのかと、私は少し不気味に感じた。

 

「うわっ、向こう側もすっごい煙ってる・・・、なんか気味悪いなあ、こんな時間におかしくない?」

 

田崎も私と同じことを思っているようだった。

 

「あれ・・・、人が歩いてくる。」

 

「いやいや、もういいよ、そういうの、二回目はそんな怖くないし・・・。」

 

そう言いながらも、私は田崎の言葉に再び強い寒気を感じていて、そのトンネルの暗闇に振り返ってそれを確かめる気はまったく起きなかった。すると、背後から確かに人が走ってくるような足音と、荒れた息遣いが近付いてくるのが感じられた。私の背中にしがみついている寒気が、体を貪り始めた。

 

「おいおいっ、ちょっとなんだよ、ションベンしてくるから待っててって、いっただろっ!聞こえなかったのかよ?戻ってきたらいないし、先行っちゃってるしっ!ビビったよ・・・。」

 

私がビクッとなって振り返ると、走ってきた足音と荒れた息遣いは、田崎のものだった。私はハアハアと息を切らしながら膝に手をついて首をグッタリと垂れている田崎の頭の辺りを見つめながら、何か言い知れないものを感じてしまって、まったく言葉が出てこなかった。

 

「て言うかさあっ、このトンネル何なんだよっ、トンネル入ってすぐにさあ、後ろから、ちょっと戻ってきてよって声がするからビビって振り返ったら、なんか入り口がすっごい煙ってて、そこに変なデッカイ猿がいたんだよっ!おれ怖くなって全速力で走ってきちゃったよっ、つ〜か何だよあの猿っ!」

 

田崎の後ろには、誰もいない真っ暗なトンネルの闇が、冷たく浮かんでいるだけだった。

 

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