ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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2016-09-04から1日間の記事一覧

夢の中に描かれる未来と、血筋に忍び寄るサルのような人形の話。

毎夜毎夜、あの夢に出てくる同じ場所はどこなのかということを、朝食を終えたばかりのテーブルに肘をついてしばらく考えてみる。 娘のチエが、テーブルの上の茶碗や汁椀や皿を、妻のアヤカが洗い物をしている流し台へと、少しずつ少しずつ運んでいっている。…

人間が理解出来ることと出来ないこと、あるいは望む夢幻と望まない現実の話。

「まずねえ、細かいことをどうこう説明する前にだよ、まず一番目の話だけれど、私が何をしにここまでわざわざ来たのかを言うよ、いいかい、あの裏山の穴を、閉じにいく。たったそれだけのことだよ、シンプルでいいだろ。そしてねえ、そんなことはセコさん、…