ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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2016-09-05から1日間の記事一覧

夏の終わりに読んでおきたい、本当はまだある恐い話のまとめ。

ぼくはこの2016年の夏に、ふと思い立って数多くの怪談めいた物語を書き連ねてみた。 本当は『八月怪談』、あるいは『ネオ怪談』と題して八月中に毎日必ずひとつの怪しげな物語を創作しようと考えていた。 けれど途中からその括りはどうでもよくなり、毎…

二度も三度も通りたくなる、ありふれたトンネルの話。

久しく連絡を取っていなかった田崎から「いろいろなことに疲れてしまった。」という内容のメールが送られてきたのは、まだ緩やかな暑さの残る九月のはじめだった。 私がそのメールに対して、「久しぶりに山でも歩きにいかないか。」と返信をすると、すぐにい…