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ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲が自らの感覚で日本を歩きまわって見聞を広めたように、故郷を離れて旅を続けるぼくが、ぼくの感覚でその土地を歩き回って、見たり聞いたり嗅いだり触ったりした、ぼくの見聞録です。

ヤマケムリ(山烟) - 『新日本妖怪事典』 -

雲州松江藩主が六代目松平宗衍、そして七代目松平治郷(不昧)の頃、市中に深い霧が立ち込める日には「ヤマケムリ(山烟)」という妖怪が出たという。

 

これは「テンジョウタケ(天上茸)」と呼ばれる茸の霊が集まったもので、霧に乗じて胞子を振り撒き、仲間を増やそうとしているのだとされる。

 

ヤマケムリが出る日の靄は通常の霧ではなく、これはテンジョウタケの胞子が空中に漂っているものだともされ、この日に外に出ると胞子を吸い込んでしまい、テンジョウタケに取り憑かれると言われる。(浦島二郎『菌の霊性』)

 

中国地方の一部では、これを「茸憑き」とも言う。

 

ヤマケムリは見上げるように大きな茸の姿をしていて、さらに見上げれば見上げるほど大きくなって雲にも届くという。シイタケのように柄とカサがあるもの、キクラゲのような不定形のもの、あるいは馬勃とも呼ばれるホコリタケのように饅頭型をしたものなど様々に言われる。また霧の中に椎茸のような強い臭気が漂うだけで姿は見えないことがあるが、その場合には四足の動物の股の間から覗くとよいと言われる。

 

ちなみにテンジョウタケに関しては幻の茸だと言われていて詳しいことはわかっていない。ヤマケムリそのものをテンジョウタケと言うこともある。

 

松江藩江戸詰の藩士であった萩野信敏という人物によれば、テンジョウタケは松江城から見て鬼門の方角にあたる湿地に多く生えており、そこに溜まった茸の霊がヤマケムリとなって人々の多く暮らす松江城下に向かって来るという。またヤマケムリの姿を見るには、霧の濃い日に鬼門の方角に立って松江城を見上げればよいとしている。

 

この荻野信敏は「喜内」、「鳩谷」、「孔平信敏」、あるいは俗に「天愚孔平」という名でも知られている博識な人物で、千社札の元祖だとも言われている。

 

また萩野はその奇人ぶりでも有名であり、原得斎の『百家琦行伝』には以下のように記されている。

 

亦往來するときは、晴雨にかかはらず、雨羽織を著す。みづから戯れていふ、「これ歩行羽織といふものなり」と、亦道頭に人の脱ぎすてたる古草履草鞋などの破れたるを自親からひろひ把りて家にかへり、是を幾重にもとぢ合わせ、また他に出づるとき、是を足にまとひてありく。最異人なり。「途にすたれし艸鞋も、拾ひて用ふれば、斯くのごとく要にたつ。我は、世に廢れるものを擧げ用ふることを好むなり。」といひて、彼のとぢ著けたる古草履をはきて、往來す。

 

同じ『百家琦行伝』には、 「狂人の如く思ふ人もありしかど、曾て談話ものがたりをすれば、其の論たかく、博識ならぶ方もなし。」 ともある。

 

このように博識かつ奇抜な萩野だったからこそヤマケムリのことにも通じており、おそらくは実際に巨大な茸の姿も見たのではないだろうか。

 

前述のとおり、このヤマケムリは見上げれば見上げるほど大きくなると言うから、「見越し」の類にも捉えられる妖怪であるが、茸の姿をして靄を発生させると言われる点、また同じ中国地方の「狐憑き」や「ゲド」、あるいは「犬神」のように人に憑くと言われる点は、見越しの類とはずいぶん異なっていて非常におもしろい。

 

きのこの妖怪の伝承は数えるほどしか伝わっておらず、例えば近江の「クサビラ」あるいは「クサビラ神」と言われる神のような存在のものや「山童」の一種だとされる大和の「木の子」という妖怪がある。詳細は不明であるが、陸奥の「茸入道」や出羽の「猪口の化け物」などという妖怪もあるという。

 

また堀麦水の『三州奇談』には 「首塚のきのこ」という怪しげな話も紹介されている。

 

天井裏にあった謎の生首を屋敷の隅に供養して埋めると、そこから茸が生えてくるのだが・・・という話である。ここで落ちを言ってしまっては味気ないので、もし興味があれば図書館などで探してみてはどうだろうか。

 

さて最後に、このヤマケムリの話が伝わる山陰地方は、その気候的な性質上、非常にきのこの生えやすい環境である。もしかしたら探せばもっともっと、あちこちに無数のきのこの怪異が潜んでいるかもしれない。

 

ヤマケムリ(山烟) - 『新日本妖怪事典』 -

 

 

 

 

  

 

 月白貉