ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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第三章:ミートボール -『故ジュンミン・ウエダとその隣人に関する事実』

前回の話第二章:白い猿の王国 - 『故ジュンミン・ウエダとその隣人に関する事実』

 

「おおっ!植田か、久しぶりじゃないかっ!」

 

「ああ、久しぶり、急に電話してごめん、今大丈夫かな?」

 

「今日は明け番で休みなんだよ、しかし久しぶりどころじゃないよなあ、何年ぶりかな。あっ・・・、そういえばおれも連絡をしようと思っていたんだ。植田の爺ちゃん、亡くなったこと聞いたよ、連絡が遅れてすまなかった。おまえの爺ちゃんには、おれもいろいろ良くしてもらったから、なんて言っていいか、本当に残念だよ。」

 

「ああ、急なことだったし、それにちょっといろいろあってさ。」

 

「知ってるよ、そのことも耳に入ってる。」

 

「だろうと思った。それでさ、いきなり電話して早速で申し訳ないんだけど・・・、」

 

「言わなくても分かるよ、例のことだろ、例の。」

 

「ああ・・・、」

 

「そのことは、ちょっと電話じゃまずいんだよ、わかるだろ。だからえっと、そうだ、ちょうどおれ来週にさ、カミさんの実家に行かなきゃならない用事があるんだよ、東京の実家に。その時、会って話さないか?」

 

「そうなんだ、わかった、おれはそれで構わないし、そうしてもらえると助かるよ。」

 

「会うのも久しぶりだし、爺ちゃんの弔い酒でも飲もうぜ。」

 

「そうだな。」

 

ーーーーーーーーーー

 

いまの自分の立場上、二人の会話を人に聞かれるのは好ましくないし、基本的に店で酒を飲むのが嫌いだからという大谷の提案により、その夜は私の自宅で酒を飲むことになった。

 

大谷と最後に顔を合わせたのはもう六年ほど前になると記憶している。大学を卒業後、私は地元には帰らずそのまま東京で小さな映像制作会社に就職し、その後転々と職を変えていた。一方の大谷は地元に戻り、自分の望んだ通り警察官になり順調にキャリアを積み上げているようだった。

 

二人が別々の場所で自分の生活を築き始めてからもしばらくの間は、私が時々実家に戻った際などに都合をつけて二人で酒を飲むことはあったが、お互い歳を重ねるごとに、まるで廃墟と化した遺跡が砂に埋もれて消え行くようにして、次第に会う機会も減ってゆき、昔ほど頻繁には、それどころかほとんど連絡も取り合わないようになっていた。もちろん、二人の間に何か見えない壁のような蟠りが生じたということでは一切なかったのだが、時の経過というものは往々にして、自分たちの意思とは全く関係なく誰かを何処か知らない辺境の地のような場所に運び去ってしまうことがある。

 

「なんだか懐かしいなあ、大学の頃にもよくおまえのおんぼろアパートの部屋でさ、おまえが作ったツマミで毎晩のように酒を飲んだもんだよなあ、実に懐かしいよ。」

 

「金はなかったけど時間だけは腐るほどあった、なんて台詞がよくあるけどさ、今思えばあの頃のおれにとっては、時間は腐るどころか淀み無く急流のように流れていってしまって、大切なことにはこれっぽっちも時間を費やせなかった気がするよ。」

 

「その大切じゃないことの方の代表が、こうやっておれと一晩中酒を飲んでたことだろうなあ。」

 

大谷はそう言って大口を開けて笑ってから、私の顔を突き刺さんばかりに見つめて昔と変わらない力強く真摯な笑顔を見せた。

 

「ミートボールの味はどうかな?」

 

「最高、おまえこれ昔から得意だったもんなあ、久しぶりに食べてさ、ちょっとマジで涙が出そうになった。」

 

「それは光栄だね。」

 

大谷はトマトソースがたっぷりからんだゴルフボール大のミートボールをスライスされたバゲットに挟んで一気に口に放り込んでから、グラスに注がれた赤ワインをごくりと音を立てて一気に飲み干し、満足そうに何度も顔を縦に揺らした。

 

「さて、それでだな、あんまり酔っ払う前に本題の話をしておきたいんだが、今からしても大丈夫かな?」

 

大谷はそう口に出してからハっという顔をして言葉を止めた。

 

「どうかした?」

 

「乾杯忘れてたよ!」

 

「いや、乾杯はしただろ。」

 

「いやいや違う違う、乾杯じゃなくて献杯だな、おまえの爺ちゃんにだよ。」

 

大谷はそう言って自分の空になったグラスにワインを波々注ぐと、私のグラスにもこぼれそうなくらいにワインを注ぎ足した。そして私のグラスがワインに満たされたのを満足そうに見つめてから、自分のグラスを頭上に高々と掲げて目をつむった。それを見ていた私も自然と彼に従い、同じようにしてグラスを掲げて目を閉じた。

 

「ちょっとひとことふたこと言ってもいいか?」

 

「もちろん。」

 

「おれはおまえの爺ちゃん、好きだったよ。おまえに比べたら微々たる時間を共にしただけだが、なんだかこう、うまく言えないが、好きだった。こんなこと聞くのも変だが、おまえはどうだった?」

 

「ああ、もちろん好きだった。正直、それに気付いたのは爺ちゃんがいなくなってからだけどさ。偏屈で頑固で癇癪持ちで、周りから変人扱いされて多くの人に嫌われていたけれど、いい爺ちゃんだった。」

 

「そうだな、たしかに変な爺ちゃんだったけど、それ以上にいい爺ちゃんだったよな、おれは好きだった。」

 

「そうだね。」

 

「爺ちゃんな、交番勤務になったおれに、一度会いに来てくれたことがあったんだ、手土産に大福持ってな。」

 

「へえ、そうなんだ。」

 

「ああ、ヤクザにでもなるのかと思ったら警察官か、って。」

 

「そうか。」

 

「ああ、それでさ、その時にさ、世間体や立場はどんなものだっていいが、オモテヅラを整えるためだけに安易に何かに屈するような人間にはなるなよって、爺ちゃんそう言って、最後に、制服似合ってるなって言って、帰っていった。あの時のこと、今でもよく覚えてる。すごく、ほんとうにすごく、うれしかったよ。」

 

短い沈黙が二人を包み込み、どこか見覚えのあるような時間がわずかに流れ去った。

 

「以上が、おれからのひとことだ。」

 

私が薄目を開けると、大谷は眼球が潰れんばかりにギュッと目を閉じたまま静かに涙を流していた。

 

「ありがとう。」

 

「おまえは何か、ひとことないのか?」

 

「おれは、そうだな、言葉にできるほど、まだうまく整理できてないからな。」

 

「そうだよな、よし、じゃあ献杯をするか、いや、やっぱり乾杯にしよう、そのほうがいいだろ?」

 

「ああ、そのほうがいいかもな、爺ちゃんもそう言うだろうな。」

 

「よし、じゃあ、爺ちゃんに乾杯!」

 

「乾杯。」

 

ー 続く ー

 

 

 

月白貉