ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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第二章:白い猿の王国 - 『故ジュンミン・ウエダとその隣人に関する事実』

前回の話故ジュンミン・ウエダとその隣人に関する事実

 

祖父の通夜と葬儀は父の判断により直接的な関わりのある親族だけの密葬として済まされ、祖父と親交のあった父の把握している限りの数人には、父が直接電話を掛けて祖父の訃報を知らせることになった。

 

ただ父の口から伝えられた祖父の死因についての詳細は伏せられ、登山中の滑落事故らしいとして語られた。

 

私は祖父に対する細やかな儀式への参加を終えた翌日、父と共に祖父の家に残されたわずかな遺品の整理を手伝い、その日の夕暮れ時に実家を後にした。私が実家の玄関で父と母に軽く手を降って挨拶をしている最中、父は私のことを呼び止めて一旦家の中に駆け込んでゆき、しばらくして戻ってきた父は両手で大事そうに抱え込んだ二冊の書籍を私に手渡した。それは祖父の著作である『白狒々信仰の考察』と『白い猿神の行方』であり、何度となく繰り返し読み返されたことを示すようにして、どちらの本の表紙もずいぶんと擦り切れ手垢に塗れていた。

 

私は帰宅途中の電車の中でその本を手に取り、祖父の書き残した二塊の知識群を読みふけった。

 

車窓の外では全国的な寒波の影響で大雪が降っていて、流れ行く景色は強風に煽られた無数の雪で白と灰色の斑に塗りつぶされ、それはさながら壊れたTVモニタに映し出されたノイズだらけの環境映像のようだった。

 

祖父の著作に書かれている内容は、真正面から捉えれば大凡は正気を失った狂人による荒唐無稽な話のように思われたが、そこで語られている話のほとんどが私が幼い頃に祖父に聞かされた多くの話と結びついており、本を読み進める内に徐々に私は、誰かに封印されて忘れ去ってしまっているかもしれない幼少期の闇のような、かつて自分の周囲を取り巻いていた現実味を帯びた陰鬱な黒い悪夢にも似たものをそこから強く感じ取っていた。

 

それは具体的に言えば、故郷の町の風景のいたるところ、崩れかけた古い木造の廃屋が連なる人気のほとんどない通りの四つ辻や、使われなくなり半ば腐った木製の電柱が無数に横倒しに放置されたなぜかいつも水たまりだらけの湿った空き地、どんどんと道幅が狭まりながら栄螺の殻の内側のように折れ曲がり最後には行き止まりになった袋小路の先にある入り口の封鎖された誰のものとも知れない無人らしき洋館、いつの時代に作られたのかも定かではない自然洞窟のような先の見えない闇に烟る古のトンネル、町の周囲を取り巻く黝い山々、そしてなにより本の中でも度々語られている狒丈山の存在、私はかつて幼い頃あたりまえに、それらの何気ない日常に揺れ動く幻夢の向こう側に潜む影の奥底に、腐臭を放ち粘り気のある底なし沼のような、もしくは蛆のような姿をした悪意ある吸血生物が犇めく落ちたら二度と這い出せない井戸の底のようなものを、この耳や目や鼻で悟り、時には手で触れて知り、そしてもちろん五感以外のものでこそ感知し、その存在に心底恐れおののいていたのではないだろうかということだった。

 

本から目を上げると、降り続く雪は更に勢いを増しており、もはや車窓の外に景色と呼べるものを見ることは叶わなかった。そこにはただ灰色の厚い壁のようなものが不動にあり、それは世界の果てを超えて、さらには時間さえも超えてどこまでも永劫に続いているようだった。

 

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祖父の葬儀からちょうど一週間後、父から滅多なことがない限りは送られてくることのない、父にしてはかなり長文のEメールが私のiPhoneに届けられた。

 

その内容は、地元で活動していたとされる新興宗教団体が警察の一斉捜査を受けて摘発されたということで、その団体に何らかの関わりがあったとみられる祖父の自宅が同じ日に父の立ち会いのもとで家宅捜索されたというものだった。その件について明日以降、父も母も警察で事情聴取を受けなければならなくなり、祖父と親交のあった地域の郷土史研究会の代表や他の会員数名にも警察の捜査が入っているらしいとも書かれていた。私は実家から長い間離れているので、私の身に警察の捜査が及ぶことはないとは思うが、あるいは今後新聞やニュースなどで捜査のことが報じられ、その際に祖父や父、もしくは研究会の会長の名前などが挙げられることがあるかも知れないので、念のため心に留めておいて欲しいということだった。

 

 爺ちゃんの本はもう読み終えたでしょうか?

 

きみに手渡した二冊の本は、あの時は何も言わなかったけれど父さんのものではなく、爺ちゃんの家に置いてあったものです。一冊の方の最後のページに爺ちゃんの筆跡で書かれたメモが挟まれていました。だからおそらくは自分用のものではないでしょうか。二冊ともあの汚れ様からして、何度となく読み返していたものだと思います。

 

爺ちゃんはおまえのことが大好きだったから、それは形見としておまえに持たせたつもりです。

 

私は同じ本を二冊とも爺ちゃんから貰ったけれど、その時は最初の少し読んだだけで、実はきちんとすべては読み終えていませんでした。だからきみが帰った後から、改めて二冊を読み進めている最中です。

 

話を戻すけれど、この地域にかなり昔からあったとされる民俗信仰のことが、爺ちゃんの本に書かれています。この地にやって来た白い肌をして金髪で青い目を持った外国人男性(ある種の宣教師かもしれないと書かれています)と、彼が連れてきたという白い毛を生やした巨大な猿のような生物の話、その男性こそが二冊の本の根幹となっている白い猿の信仰を、つまり後に白狒々信仰とか白猿神信仰と呼ばれるものの原型をこの地に伝えて、それ以降、その信仰が土着の民俗信仰と混じり合い、原型とは形の異なった混合宗教のようなものになって受け継がれていたと。その外国人はかつて日本と交易のあったスペイン船籍に奴隷として捕らわれていた人物で、元々はアフリカ大陸のどこか(現在のコンゴあたりではないのかと書かれています)か、もしくは新大陸のどこか(現在の中南米ボリビアあたりではないかと書かれています)に存在した白い猿を崇める信仰を持った王国の人間だという説があげられています。そして、その人物が同じく捕らわれていた白い猿を連れて日本の港に就航していたスペインの商船から逃亡し、この地に逃げ延びてきたと。白い猿を崇める王国では、国王は人間(黒人ではなく白い肌をもつ原住民族だと書かれていますが、私の知識ではアフリカや南米の原住民族に白色人種はいないと思いますが)だけれど女王は白い毛を持った巨大な猿で、その猿は現在知られている種ではない未知の類人猿(別種の人類の可能性とも書かれています)らしく、その国王と女王、つまり人間と猿が交わって生まれた種族で形成されている王制国家だということです。そのためそこで暮らす人種の多くは、人間というよりはどちらかと言えば巨大な類人猿の姿をしているらしいとも書かれています。私はその章を読んでいる時、冗談っぽくまさかイエティやビッグフットもしくは日本で言うところのヒバゴンのようなものなのかと想像してしまいましたが、この地域にやってきた巨大な猿は女王の直接の血筋にあたる純血種の女性、つまり雌だったとも書かれています。そしてその猿がこの地域で人間との間に何人かの子供を産み、その血筋が受け継がれてきたと。

 

もっと詳しいことは、きみもすでに読んでいるかもしれないけれど、かなり異様で衝撃的な内容で、本に書いてある通りですが、王国で崇められていた初代女王の巨大な木乃伊の話や王国以前の創世神話のこと、あるいはこの地域の猿神信仰における人身御供の話なども出てきます。

 

この荒唐無稽な話、爺ちゃんが周囲から変人扱いを受けたり避けられていたことが、これを読んである程度は理解はできました。

 

ずいぶん長い手紙になってしまっているのは申し訳ないけれど、あと少しだけ書いておきたい大切な話があります。

 

最初に書いた新興宗教団体の件で気になることを警察から聞きました。爺ちゃんが川で見つかった時の所持品の中に、その宗教団体に関係する何らかの書類と、猿のようなものを象った掌に乗るほどの大きさの奇妙な石像が発見されたようで、さらにあの後の爺ちゃんの検死解剖で判明した死因が常識では考えられない異常なものだったことから、爺ちゃんの死んだ原因との関連として宗教団体の存在が浮上してきたそうです。警察は現時点ではあまり詳しくは教えてくれなかったけれど、事情聴取の際にもう少し詳しい話が聞けるかもしれません。

 

最後にひとつだけ、なぜ父さんが爺ちゃんの本の一部の内容をここに書いたかと言えば、どうやら宗教団体の名前が日本語で白い猿を意味する外国語らしいからです。そんな宗教団体がこの町にあること自体私は今まではまったく知らなかったし、本の内容との偶然で奇妙な符号点からまさかとも思いましたが、それを聞いた時、私は言いようのない恐怖を覚えました。

 

警察の捜査が入った宗教団体の施設は狒丈山の麓にある古びた教会だとのことです。きみもよく知っている場所だと思います。私はあの教会はキリスト教の教会だとばかり思っていましたが、でも今言われてみれば確かにあの建物のどこにも十字架らしきものは見当たりません。

 

本に挟んであった爺ちゃんのメモの内容、たしか見知らぬ外国語のようなものが書かれていたと思います。あるいは今回のことにはまったく関係はない事柄かもしれないけれど、この内容を受けてもし何か気付いたことがあれば、いつでも連絡をください。

 

では、体に気をつけて。

 

父より

 

父からのEメールに目を通した私はすぐに手元のノートパソコンを起動し、大手ポータルサイトに掲載されたニュースの社会カテゴリーの項目に細かく目を通してみたが、この24時間の間に私の実家のある地域で新興宗教団体が摘発されたという類の記事は一切見つけることが出来なかった。試しに検索ポータルサイトサーチエンジンを使用して「大狒町」「新興宗教」「白い猿」などのキーワード検索を行ってみたが、結果として表示された検索結果の中に内容の一致するものは見つけられなかった。

 

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明くる日、18時過ぎに仕事を終えた私は、実家のある地元の県警に巡査部長として勤務している大谷郷真にずいぶん久しぶりに連絡を取ってみることにした。

 

大谷とは小学校、そして中学高校ともに同級生で、さらには大学進学の際にも学部は違いさえしたが同じ大学に進んだ仲であり、そもそもはお互いの自宅が近所だった為、私の唯一と言える仲の良い幼馴染だった。

 

彼は幼い頃から身体が大きく近所では生来のガキ大将的な資質を発揮して近隣の子供たちを束ねていたいわゆる悪ガキであり、小学校にあがると空手教室に通い出し、高校に進学してからはさらにボクシングまで習い始めていた。私はどちらかと言えば彼とは正反対の大人しく目立たない子供であり学生時代も然りだったが、何故か彼は私のことを一番の友だちだと思っていた風があり、幼少期から青春期にかけてはほぼ毎日のように彼と一緒の時間を過ごしていた。

 

大谷は自分から積極的に誰かに喧嘩や因縁をふっかけるような行為は下品だとして嫌っていて一切せず、どこか捉えどころはないが自らの信念に基づく確固たる正義感を有していたが、売られた喧嘩はもれなくすべて買い上げていた。そしてその身から発する宿命とでも呼ぶべきオーラか、あるいはある種の吸引力のせいで、中学に進学してから暫くの間は地元の不良グループを相手に、彼が言うところの“聖戦”を幾度となく繰り返しており、しかし暫くすると、そのすべてに勝利し続けていた彼の周囲に無益な戦いを申し出てくる愚か者はいなくなっていた。

 

高校に進学してからも最初の数ヶ月はまた新たな聖戦が時と場所を選ばず勃発したが、しかしそれも当然の如くして彼は難なく乗り越えていた。そしてその結果、必然的に彼は地域で一目も二目も置かれる存在に君臨することになっていたが、彼自身はそのことに関してほとんど頓着がないようで、彼の言動がそれを理由に醜くねじ曲がるようなこともなかった。だた、そんな彼と常に行動を共にし、幼い頃と何も変わらず彼と接していたさして聖戦とは何の関係もない私も、なぜか周囲から一目置かれるような地位を手に入れる羽目になっていたことは複雑に感じていた。

 

私はそんな大谷をごく間近にいながらも時には傍観していて、下手したらその豪腕を見込まれて地元のヤクザから引き抜きが来るのではないのかと若干危惧していたが、高校を卒業すると彼は私と同じ東京の大学に進学して法律を学び、これまでの空手とボクシングに加えてロシアの軍部が採用しているという特殊な実践格闘技を習い始めながら大学では将棋のサークルに加入し、大学卒業後の進路として警察官という道を選択した。

 

ー 続く ー

 

 

 

月白貉