ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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はてなブログへの記事投稿、299日目454回記念。

記念日ってものが、わりとキライである。

 

べつに記念日を否定しているわけではないので、好きな人は好きでいいと思うけれど、ぼくはわりとキライだということ。大嫌いではないけれど、普通より少し下のキライなほど。

 

「ハンバーグとかカレーライスはみんな大好きだって言うけど、わたしはわりとキライなのよね、でもナポリタンはわりと好き。」っていうほどだと説明すれば、わかりやすいかどうか知らないが、そういうこと。ちなみにハンバーグもカレーライスもナポリタンも、ぼくはわりと大好き。

 

はてなブログに記事を投稿し始めて一年ほど経って、投稿した日数にするとちょうどきょうで299日目らしいけれど、投稿記事はこれでちょうど454回目らしい。

 

はてなブログへの記事投稿、299日目454回記念。

 

数があっていないので、一日一投稿ではなかった様子で、一日二膳飯を食っていた日もあるようだが、あまり記憶にございません。まあ、そんな299日目の、454回目という、ちょうどって書いたけどまったくちょうどじゃない、なんでもない日の記念に、記念日がわりとキライな話をする。本当は、記念ってタイトルに付けたので、記念ってなんだろうなあって思って、冒頭はまず、あまり意味もなく否定から入ってみているだけのことで、記念日がキライかどうかは、もうここで捨て去ってしまおう。

 

結婚記念日だったり、建国記念日だったり、ノーブラ記念日だったり、わりと世の中には記念日ってものが溢れていて、そんなこと言い出したらキリがなくて、個人のすごく細かいものまで考えだしたら、たぶん毎日が何かの記念日になっちゃう。どんな活動をしてんだかまったくわからないけれど、日本記念日協会なんてものまで存在していてる。申請して記念日認定でも受けることが出来るのだろうか。

 

ちょっと話は変わるけれど、ぼくは約束も時間も極力守るほうだが、一年間ずっと、同じ時間の同じ場所で待ち構えている記念日ってものがどうも苦手で(あっ、やっぱりわりとキライなんだ・・・)、どうも価値を見いだせなくて、ちょっと恐ろしかったりもして、あえて記念日に何かしようとは思えない。例えば大切な人の誕生日があるとすれば、それはもちろん何かしらするのだけれど、勝手に前日にしたり、一日遅らせたりしちゃう。なんだったらその誕生日の一週間前に盛大に祝っちゃいたくなる。時間に待ち構えられているのが、なんだか邪悪な待ち伏せみたいで、嫌なのである。

 

そういえば誕生日っていう言い方は、厳密には誕生記念日だろうなあと、ふと思う。誕生日っていうものは生まれたその日だから人生で一回だけで、あとは誕生記念日だろう。なぜみんなは、記念を取り外して言うのだろう。ブログっていう言い方も、本来はウェブログだったはずだけれど、気が付いたらブログって言い方になっていた。誕生記念日の「記念ちゃん」がどこかに連れ去られて、あるいは中南米のジャングルあたりの地下施設に軟禁されて臭い飯でも食っているように、ウェブログの「ウェくん」も同じ地下施設に連れて行かれて、日々過酷な生活を強いられているのだろうか。そういう謎の失踪を遂げた記念ちゃんとかウェくんのことを思うとやるせなくて、

 

「探しだして連れ戻さなきゃ!!!」

 

という無駄な正義感が湧いてキッチリしたくなるのだが、近所のセブンイレブンの脇あたりの薄汚れた電信柱の影で、ニヒルな笑みを浮かべて待ち伏せている記念日からは、どうにかこうにか身を隠して回避しようとしてしまう。ぼくはそういう、なかなか破茶目茶な質の人間なのである。

 

とまあ、そんな風なぼくだから、まったくなんでもない今日だって、あっ、記念日じゃん、と思って、はてなブログ299日目の454回目の投稿の記念に、この投稿記事を捧げる。

 

記念日だから、だれかプレゼントでもくれないかなあと思って、Amazonのほしいものリストでも公開しようと思ったけれど、知らない人から物をもらうのは記念日よりも怖いから、やめておく。

 

祝、299日目454回投稿記念日。

 

お題「今日の出来事」

お題「プレゼント」

 

 

 

 

月白貉