ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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情報操作

「知らないもの、と、知らされていないもの、

 

賢明な白酒さん、あなたならもうずいぶんその違いについてご理解いただけたと、私は思っています、いかがですか。」

 

日本がそんな状況に陥っていることなんて、もちろん知らなかった。

 

ぼくはもともと政治や経済はおろかその他多くのことについて、この世界に無意味に氾濫する数えきれない「情報」というものに、そしてその「情報」の重要性については、ずいぶんと懐疑的だった。普通の人間が知り得る情報のその中には、本当に知るべき真実は微塵もなく、本当に知らなければいけないことが包み隠され、形を変えられ、そして意図的に操作されているものこそ、まさに「情報」と呼ばれているからだ。結局のところ、尋常ではない意思と力でその魔窟を掘り起こさないかぎり、それを見極めることは難しい世界に成り果てている。いや、それはおそらく、百年二百年の話ではなく、もっともっと太古から人々の知り得るべきことは操作されているのだ。

 

「いまここで、私が歴史の講義をぶることは叶いません。

もちろん、この大仕事を終わらせた暁には、私はある分野の講師に、いや教授にでもなれるかもしれませんねえ、ただあるいはそれはすぐに何かしらの権力によって潰されるでしょう。この世の常です、まったく馬鹿げていますよ、何が真実かも知らないバカどもに、今のあなたの苦悩と、そしてその勇気が果たして理解できるのでしょうか。」

 

いま自分が生きてゆく理由を誰かにたずねられたとしよう。

 

ぼくには到底こたえられやしない。人間はなぜ生きてゆくのか、それはなんの為なのか。ただこの数日間、浦島さんと駆け抜けた時間は、生きている心地がした時間だった、生きている以外のナニモノでもなかった。

 

死なずになすべきことがあり、死なせてはいけない人とふたりきりだった。

 

それ以外に、自分が生きてゆく意味がありえなかった。だから生きていた。なんて簡単なことだと思った。なんて安らかな生だと思った。なぜなら、刹那的なものかもしれないけれど、それが生きる意味だったからだ。

 

「いつかあなたが大学の教授にでもなって、たとえば吸血鬼の歴史を教える日が来たら、ぼくを助教授くらいには引き上げてくれるんですよね?」

 

浦島さんは振り向かなかったけれど、大いに笑っていた。

 

「教授ねえ・・・老いて傷ついても吸血鬼は簡単には死ねません、

 

けれど去り時は心得ていますよ、もし教授になるなら白酒さん、あなたの教授にはなれるかもしれない。その時には、もちろんあなたは私の助教授ですよ。ふたりきりのさびしい授業です、楽しいでしょうなあ。」

 

夜明けが近付いていることは知っていた。けれど、地下深いその建物の空間では、陽の光など何の意味も持たなかった。

 

 

 

 

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月白貉