ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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愛宕不動明王座像 - 松江百景

愛宕山といえば、日本全国各地にその名のついた山が存在するので、多くの人が聞き覚えのある名前だと思う。

 

愛宕というのは伝播地名のひとつで、愛宕信仰によって広まったものとされており、そのため大抵の場合、愛宕山と名のついた山の頂には愛宕神社を祀っている場合が多い。

 

大元とされるのは落語でも有名な京都の愛宕山である。

 

つい最近まで知らなかったのだが、松江にも愛宕山が存在しており、その山頂には愛宕神社が祀られている。東京の愛宕神社と同じように、鳥居を抜けると神社の本堂まで急な石段が続いているなかなか景観のよい神社である。ただ石段は最近になってコンクリートで作りなおされたもののようで、その部分に関してはちょっとテンションが下がるのだが、今回の松江百景はその愛宕神社ではなく、愛宕山の麓にひっそりと隠れたお堂の中に座る不動明王である。

 

というわけで今回の松江百景、「愛宕不動明王座像」である。

 

松江百景 - 愛宕不動明王座像 -

 

愛宕神社を後にしてその近隣をブラブラと散策していると、住宅街の細い路地の先に小さくて古めかしいお堂があることに気が付き、さっそく行ってみることにする。

 

細い参道には野良猫がお昼寝をしている典型的な素敵空間で、その奥のお堂は古びてはいるもののきちんと管理がされているらしく、お供え物もお花も真新しく、とても綺麗に保たれている。お堂の中は天井からのぼんやりとした明かりで照らされているが、奥の方が薄暗くてよく見えないので、扉に顔をひっつけて覗いてみる。

 

奥にいたのはすさまじい眼光の不動明王だった。

 

不動明王愛好家としては、よだれ爆裂モノの不動明王座像である。おそらくずいぶんの年代物だと憶測されるのだが、詳細についてはまったくわからない。ただその凄まじいポテンシャルは全体からあふれる波動によってひしひしと感じられる。

 

島根に来てから多くの不動明王に出会ったが、今のところ、その三本の指に入る不動明王である。こういう出会があるから、地域の散策は楽しくてやめられないのだ。

 

ちなみに三本の指のほか二つもいずれ松江百景で紹介しようぞ。

 

 

 

京都愛宕山と火伏せの祈り

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日本百低山―標高1500メートル以下の名山100プラス1 (文春文庫)

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月白貉