ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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自分の場所

自分の場所を見つけるのは簡単なんだよ。

 

自分の場所


難しいのはその場所を守ること。

 

意識的にか無意識にか知らないが、
人は誰かの場所を壊したくてしかたがないのだ。

ぼくは自分の場所はけっして壊されたくない。
壊させない。
そう思って生きている。

けれど、誰かの場所は壊したいと思うことがある。
そして壊してきたかもしれない。

たくさんではないのは確かだけれど、
それでも誰かの場所は確かに壊してきたかもしれない。

壊してきたからこそ、
そういうことがわかるのかもしれない。

でも、もうそういうこともわかったから、
もう誰かの場所を壊したいとはあまり思わない。

自分の場所を見つけることは簡単で、
でもその場所を守るのは難しいけれど、
誰かの場所を壊したいと思わなければ、
自分の場所を守ることはもっと簡単になるかもしれない。

もっともっとあたりまえのことが出来るようになる頃に、
人は死んでしまうんだろうけれど。

 

 

 

自分の人生がある場所へ

自分の人生がある場所へ

 
自分の場所へ

自分の場所へ

 

 

 

月白貉