ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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憑物ってなに? - キツネにならきっとわかる憑物の話 -〚 第零話 〛

ぼくが数年前に住んでいた山間部の小さな地域には、今でも「外道(ゲドウ)」とか「ゲド」と呼ばれる、いわゆる憑物(つきもの)の話が残存していた。

 

話だけではなくて、実際にその憑物筋の家がいまだにあるようだったが、調べたわけではないので、定かではない。ただぼくの郷里の方にも、狐憑きの話は多く存在していて、死んだ祖母の話によれば、祖母の父は狐に取り憑かれたことがあり、夢遊病者のように川の中へ入ってゆく所を通りすがりの僧侶に助けられたことがあるという。実家の敷地内には古いお稲荷さんが祀ってあるのだが、それはその時の狐を祓った際の名残だと祖母は言っていた。そういえばぼくの住む地域の屋敷稲荷の数は異常だったように記憶している。

 

憑物ってなに? - キツネにならきっとわかる憑物の話 -〚 第零話 〛

 

もしかすると、インチキ僧侶と結託して法外な金をふんだくる悪徳商法の類だったかもしれないが、話がそれるのでそれはまた別の機会に。

 

さてちなみに、前述のゲドウというのは、主に中国地方に多く見られる憑物で、地域によってその姿は様々に言われるのだが、基本形はイタチに似た小さな獣の姿で、イタチよりも少し小さく、色は鼠色だとか斑模様だとか言われている。島根県鹿足郡日原町(現在の津和野町)では口の裂けたモグラのようなものだとか、広島県三次市では足の短い茶褐色の動物だとか言われている。その他にも、トウビョウと同じような蛇だと言われている地域もあれば、犬神や狐憑きと同じものだと言われる場合もある。山口県豊浦郡では犬神のような犬の霊を「犬外道」と呼ぶ。さらに徳島県では、ゲドウは非業の死を遂げた人間の怨霊だとも言われている。

 

さてではその憑物とはなんぞやという話であるが、簡単に言ってしまうと読んで字のごとく、人に取り憑いた物、いわゆる霊的な存在のもの、あるいはその霊に憑かれた人の状態のことなどを憑物と呼ぶ。

 

憑物は大きく分けると三つに分類される。

 

  1. 突発的に人に憑いて、その人を病気にしたり異常な行動を取らせたり、最悪は死に至らしめるもの。
  2. 特定の家で代々祭っていたり飼っていたりするもの。そういう家は大抵の場合、憑物のご利益で他の家よりも裕福な場合が多い。そしてその家のものが第三者を羨んだり憎んだりすると、憑物がその第三者に霊的な害をなすとされ、恐れられている。またこの憑物は家筋や親類などの縁組を通じてウイルスのように広がってゆくとされ、いわゆる「憑物筋」と呼ばれるこの現象が差別などの社会的弊害になってる。憑き物筋は特に西日本に多く、山陰や中部、また九州地方などに今でも残存していると言われる。
  3. 巫女や行者が、ある種の神として使役しているもの。例えばこれは憑物を小さな筒の中に入れて持ち歩いたりしているので、陰陽道での式神のようなものである。

 

全国的に見られる(まったく見られない空白地帯もあるのだが)この憑物には大抵の場合、狐とか犬とか蛇とか、動物の名前が付けられている、つまり動物の霊だとされている。

 

狐の憑物であれば、オサキ、オーサキ、野狐(ヤコ)、クダ狐、クダショウ、イヅナ、エズナ、オトラ狐、人狐(ひときつね)、ニンコなど。犬の憑物だとされる犬神は他にも、インガメ、インガミ、イリガメ、イヌガミネズミなど。蛇の憑物だと、蛇神、トウビョウ、トビョウガミ、トンボガミ、トボ、トンベ、ナガナメなどと、様々な呼び名がある。

 

この他にも、狸、猫、猿、蝦蟇(がま)、牛や馬、さらには正体不明の霊や神のようなものまで、地域によって様々な憑物が存在している。

 

動物の霊が人に憑くという現象は太古の昔からあるとされているが、それは現在の憑物のような悪い霊、邪悪な霊といったものではなく、人々を守護したり、信託を下したりする神霊としてのイメージが大きかった。

 

ではなぜ、それが忌み嫌われるものへと変化していったのだろうか。

 

次回へ続く。

 

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月白貉