ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

follow us in feedly

憑物筋の多数地帯と稀少地帯 - キツネにならきっとわかる憑物の話 -〚 第肆話 〛


民俗学者の石塚尊俊は、憑物筋の多数地帯と少数地帯には、その家筋の性格において明確な違いが存在すると述べている。

 

憑物筋の多数地帯と稀少地帯 - キツネにならきっとわかる憑物の話 -〚 第肆話 〛

 

それは何かと言えば、例えば憑物筋の最多数地帯である出雲、土佐、豊後の各地域においては憑物筋だといわれる家とそうではない普通の家との明確な差異がまったく見られないことだという。

 

つまり憑物筋の家の職業や宗教が特殊なものであるとか、経済的に際立って裕福であるとかその逆だとか(俗信では憑物を持つ家はみな裕福だといわれている)、あるいは家族構成や教養度などの社会的な面から見ても何ら違いが目につかないのである。どの家も普通の農家であり、普通の商家をしている。

 

一方、憑物筋の少数地帯を見てみると、その家筋には明らかに他の家とは異なった特色を持っている。一番明確なものでいえばその職業であって、その家筋のものは巫女であったり山伏や占師の類なのである。さらにその中でも特に目立って奇異な行動をとっているものがいたりして、あの家は狐を使うとか犬神を飼っているなどと言われるに至っている。

 

そういったわけなので、少数地帯においてその特色が極めて明確な家筋に対しては他の家からの警戒もそれなりに強いため、さらにはそもそもそういった家がごく少数なために問題が起きることも少ない。地域ではお互いに認識の上で存在しているわけであるから、無闇に関わらなければいいわけである。

 

しかし多数地帯となると話は違っていて、一つの村に何十軒もの憑物筋だといわれている家々があり、実際には何の変哲もない家にもかかわらず、訳もわからぬまま昔から代々あの家は悪いものだと言われ続けている。普段は特に何事も無く生活をしていても、いざ縁組だなどということになると、憑物の話が浮き上がってきて顔を出すのである。

 

しかし石塚尊俊は、この多数地帯の家筋にも、ある重要な特徴が隠れていると述べている。

 

次回へ続く。

 

follow us in feedly

 

 

 

 

 

月白貉