豆苗は何日目に蘇るのか? - 第六日目『夢幻』 -
「よみがえる」という言葉は、黄泉から再び戻ってくる、帰ってくるという意味を表す。
一説によれば、黄泉の語源は「闇」だという。
つまりよみがえるとは、闇の中から光を求て帰ってくると捉えることも出来る。
この数日間、豆苗の姿を観察していて思ったことは正にそれで、豆苗はただひたすらに光を求めていた。
そんな姿を見ていたぼくは、やはり再び蘇った豆苗を食べることを躊躇してしまう。
人間なんて、所詮は愚かなものだ。
第六日目、豆苗は、もはや蘇っている。光に揺らめく緑色の壁が、眩しく眼前を覆い尽くす。しかしさらに、より多くの光を求めて、天の上へ上へと手を伸ばし、その速度を増してゆく。その先にあるものは果たして何なのだろうか。蘇りの先にあるものは、本当の光なのか、あるいは光のように美しく妖艶に輝く、夢幻なのか。彼らはその本当の答えを知っているのだろうか、あるいは何も知り得ないのだろうか。しかし、こうなってしまっては、その先にあるものが如何なるものであろうとも、後戻りはできない。いずれにせよ、豆苗は蘇ったのだ。
豆苗は六日目に蘇ったと、人々はそう口々に言い、そう記憶に残すだろう。
2016年5月14日 月白貉 記
月白貉