ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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池袋ロマンティシズム

20代のある時期、ぼくは毎日毎日、本当に同じことを繰り返して生活していた。

 

朝七時からプールで二キロ泳ぎ、その後洋画のDVDを売る店でアルバイトとして働き、 仕事が終わると家に帰ってビールとワインを飲み、腹が膨れると映画を一本観て眠りについた。

 

トゥルー・ロマンス」のクリスチャン・スレーターには手が届かなかったが、ある部分においてはあんな日々だった気がする。

 

毎日同じことを繰り返しているのに、都度都度おかしな事件には巻き込まれる日々。

 

賢く暮らすことが必ずしもいいとはいえない。もっと馬鹿みたいに暮らしていた方が、 幸せなことだってある。

 

そんなあの頃の日々に、少し憧れる、今の日々。

 

あの頃、家の近所でセルジュ・ゲンスブールに瓜二つの老人と、よく道ですれ違った。

 


時々、上品なマダムと腕を組んで歩いていたり、
近所のカフェーで数人のマダムと談笑していたりする場面にも出会したが、すれ違うと独特の臭気を放っていて、
ホームレスのような雰囲気も漂わせていた。
いちど尾行してみようとも思ったが、謎は謎のままにしておいたほうが、幸せなこともある。

 

彼はいつも、とても幸せそうな顔をしていたから。

 

池袋ロマンティシズム

 

 

 

 

月白貉