天国とか地獄とか、狭間日記。
今日観た映画、スティーヴン・ソマーズ(Stephen Sommers)監督の『オッド・トーマス 死神と奇妙な救世主(Odd Thomas)』、そして、リュック・ベッソン(Luc Paul Maurice Besson)監督の『アンジェラ(Angel-A)』。
ずっと雨が降っていて、一日中家の中で過ごした。外にまったく出なかった日は、もう何年ぶりじゃないのかと思う。でも忘れているだけで、そんな日も頻繁にあるのかもしれない。いろんなことは忘れてしまう。どうでもいいけれど。
オッド・トーマスは思っていたよりよかったけれど、アンジェラは思っていたよりだいぶつまらなかった。
リュック・ベッソンはどこに向かおうとしているのか。
ジャンクな娯楽作品を作るのなら、ジャンクでもいいから『ニキータ』と『レオン』の後日談を作ればいいのになあ。
アメリのジャメル・ドゥブーズはすごく好きだったけれど、アンジェラの彼はなんだかまったく好きになれなかった、主演なのに。リー・ラスムッセンもまったく好きになれなかった。
そういうことが映画の本質なんだろうと思う。
学生時代に、個人制作の短い映画に何本か、役者として出演した。自殺請負業の男役と、道端で隙間をさまよい電信柱に挟まる謎の男役、どちらも地味に難しい役だった。他にもいろいろ。
過去のことを思い出すと、少し混乱する。それは誰しもそうなんじゃないのかと勝手に思うが、たぶん多くの人は混乱なんかしないのかもしれない。
オッド・トーマスの中で、死者の霊は言葉を発せないという表現があった。原作は読んでいないから知らないけれど、映画の中ではそうだった。そして死者の霊は直接的には生者に触れることは出来ない。ポルターガイスト的な物質を利用した接触は出来るらしいが・・・。
本当にそんな世界があるのだろうか。コナン・ドイルが傾倒したような、死後の世界があるのだろうか。オッド・トーマスの劇中で、いまの世界はブートキャンプみたいなものだっていうセリフがあった。もし本当にそうなら、オッドも言っていたが、ブートキャンプにしては過酷だなあ。
きょうは、今日観た映画を中心にした平凡な日記だ。
天使やら悪魔やら、死んだ人間の霊やら、呼び方は人間が勝手に付けているけれど、そういうものがたぶん、ウヨウヨしているような気はする。
だたきっとそれは、今で言うAIみたいなもので、太古の昔から人間が創り出しているんじゃないのか。自分たちの代用品としての精密で邪悪な人形を、ある種の人々は作りたくて仕方がなくて、それを現実に創り出している。
それは創造主の手を離れて、暴走を始める。いや、暴走だと言い張るのは創造主で、彼らを創り出したことが、そもそも暴走なのだ。
なにか映画をもう一本観たいが、これから少し酒を飲みたいので、映画は明日観ることにする。
孤独と、無音と、キーボードを打つ両手に浮き上がった静脈。
生きている意味を考えることは、多少の気休めにはなるさ。