ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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羽毛布団を手洗いしたけれど、ノストラダムスが乾かないと予言した的中日記。

もう一ヶ月ほど前になるが、秋から冬に備えて愛用の羽毛布団のカバーを洗っておこうと思い本体からカバーを取り外すと、羽毛布団本体にビッチリと赤カビが生えていて、もう人生が終わったような心地を味わった。

 

いままで羽毛布団に赤カビなんか生えたことはなかったのだが、今年の異常な暑さと湿気のためか、とにかく異常事態である。このままでは、秋はまだいいとしても、冬になったら冬眠でもしない限り、就寝時に凍えて死ぬことになる。

 

さて、この羽毛布団のカビはどうしたものかと考えて、手っ取り早いのはクリーニングに出すという手段だろうと思う。

 

しかし羽毛布団のクリーニングというのはメニューの中でもめっぽう高く、五千円くらいする。

 

かつて東京に住んでいた頃は、羽毛布団を使用するシーズンになると迷わずクリーニングに出していた。だいたい四、五千円はかかる。でも、クリーニングが終わって受け取った後、いつも感じていたことがある。

 

「これ、ほんとうにクリーニングされてんのかな?」

 

五千円といえば結構な大金である。そんな大枚を払ったのはいいけれど、いまいち満足感がないのが、羽毛布団のクリーニングなのだ。

 

さらに今回は、表面をビッチリと赤カビが覆っているため、オプションの赤カビ料金を払わされるかもしれないという恐怖感が存在する。

 

そこで今日、思い立ったが吉日で、どうせなら自分で洗ってしまえと思い、決行に至った。

 

以前、脚付きマットレスが赤カビだらけになった際にも、巨大なマットレスに悪戦苦闘しつつ、自分で手洗いすることに成功した経験から、ぼくは思ったのである。

 

「地球上に存在するほとんどのものは、大抵は自分で手洗いできる。」

 

というわけでまあ、例のごとく風呂場で格闘し、溺れかけて大量の水を飲みつつも、何とか羽毛布団を洗ってカビはきれいに取り去った。しかし、家には羽毛布団を脱水できるような巨大な洗濯機がなく、近所のコインランドリーまでビチョビチョの羽毛布団を担いで脱水しにいくわけにもいかないので、やはりそこも手作業である。

 

結局、洗い始めてからベランダに干すまでに二時間位かかった。

 

しかし、ここからが問題である。羽毛布団の中の羽が、中の羽がよ、水に濡れて玉になって各所にボコボコと定着してしまい、突然変異のサヤエンドウみたいなことになったまま、今ベランダに垂れ下がっている。そしてあんなにモワモワのフワフワだった羽毛布団が、デカいビックカツみたいにペラペラになって風に揺れている。

 

これはもしかしたら、ミシェル・ノストラダムスが例の預言書で触れたアンゴルモアの大王のくだり、「手洗いした羽毛布団は容易には乾かないだろう。」という予言の成就を意味するものかもしれない。

 

つまりこのままベランダの羽毛布団が復活せずにペラペラのままなら、2017年の冬にぼくは死ぬという運命をたどることになり、ノストラダムスの予言の通りになってしまう。

 

ひとまずは日が暮れるまで待ってみて、それでも羽毛布団復活の予兆が見られないようなら、ぼくはこの冬、死ぬだろう。

 

ただし、羽毛布団を自分で手洗いするという行為は、結果はどうあれ、羽毛布団が洗われてきれいになったという明確な手応えと、予想以上の達成感はある。そしてさらに、運動量として、その日のビールが美味くなること請け合い。

 

だからもし、現在愛用の羽毛布団がダダ汚れてしまっていて、この冬に死を待つしかないと涙を流している方がいるなら、自分で手洗いすることを強くおススメする。

 

でもさあ、ぶっちゃけ、マジで乾く気がしねえ。

 

羽毛布団を手洗いしたけれど、ノストラダムスが乾かないと予言した的中日記。

 

 

 

 

月白貉