ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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ハロウィンにおける仮装(仮想)

この期に及んでハロウィンの仮装にお悩みの方は多いのかもしれない。

 

でも概念をぶち壊して考えれば、いま、家にある身近なものでいくらでも恐ろしい仮装が出来るのではないかと思う。

 

何も『ハロウィン』(Halloween)のマイケル・マイヤーズや『13日の金曜日』(Friday The 13th)のジェイソン・ボーヒーズになりきる必要はない。

 

吸血鬼にだってゾンビにだって、クリーピーなピエロにだってなる必要はない。

 

以前にもこのウェブログで触れた一昔前の外国におけるハロウィン時の仮装の写真を見ると、それがよくわかる。

 

関連記事下手なホラー映画よりも不気味な、本当は恐いハロウィンのコスプレ写真。 - ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

 

ちょっと着古して汚れた衣服、例えばもう捨てようと思っていた首元がビロビロに伸びて茶色いシミの付いたシャツと泥にまみれてしまったパンツを身にまとい、頭に麻袋をかぶるだけでも、たぶん十分怖い。なんだったらそっちのほうが意味不明でよっぽど恐い。

 

麻袋がなければ、ダンボールやら無地の紙袋でもいいだろう。ビニール系の袋はちょっと間違うと窒息する可能性があるので、違う意味で怖いから注意が必要だが。

 

例えばきちんとしたビジネス・スーツを着て、目や口や耳にバンドエイドをベタベタたくさん貼り付けて塞いだだけでも、たぶん恐いと思う。

 

そういうちょっと不条理なもののほうが、具体的な「何か」よりも数段恐い気がする。

 

例えば上下緑色のジャージを着たおじいさんが両目に眼帯をして乳母車を押して歩いていたら、これはなんだか恐い。

 

例えば、真っ白いワンピースを着て汚いクマのぬいぐるみを抱きかかえた双子の老婆と手を繋いで歩いていたら、これもなんだか恐い。

 

格好云々ではなく、ただ単に荒い息遣いで四つん這いになって歩いていても、なんだか恐い。

 

なんだかそういう恐怖ということに特化した、一見地味だがあまりにも恐ろしすぎるハロウィン仮装なら、きっと町も静かで楽しかろうに。

 

ハロウィンにおける仮装(仮想)

 

と、特にあてもなく、ひとり、ハロウィンの日の仮想をしたためている秋の午後。

 

 

 

 

月白貉