ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

follow us in feedly

ヒトクチタケ(Cryptoporus volvatus)- 松江城マッシュルームマップ -

料理のレシピ本などを見ていると「一口サイズ」とか「一口大」という言葉が多用されている。

 

『サボテンを一口大に切ります。』とか『ダチョウの肉を一口サイズに切り分けてください。』とか。 

 

意味はだいたい分かる。「一口で人間の口に入れられるくらいの大体の大きさ」ということであろう。しかし一口という大きさは千差万別、巨大なピンクグレープフルーツを丸々いっこ一口で頬張る人もいれば、森永のチョコボール一粒を三口で食べる人もいるであろう。だからひとくちに一口と言っても人によって大きく違いがある。毎度おなじみ日本語によくありがちな曖昧模糊な表現である。日本人は時として、とても重要な事を実に曖昧な言葉で話す習性をもっている。

 

先日、ぼくの携帯電話に非通知で電話がかかってきていて留守番電話にメッセージが残されていた。山口と名乗るその人物は、声からすると初老の男性だと思うのだが、メッセージの内容は以下の様なものだった。

 

「ああ、どうも山口です、先日はどうも。それでですね、例のあの件ですが、いつもの様にあそこでやりますんで、まあいつもぐらいに皆さん適当に集まりますから、この間お願いした例のアレを持参でお越しください。まあいつものアレなんで、ぼちぼちです。じゃあよろしくおねがいします、ごめんください。」

 

完全に間違い電話であることはわかったのだが、非通知な上に内容が曖昧でさっぱりわからないので、ぼくにはどうすることも出来なかった。

 

もし大切な内容なのであれば、日本人はもうちょっとちゃんとした言葉を使って明確に話さなければいけないだろうと、ぼくはその時大いに思ったのである。だから「一口」という大きさも、もしレシピ本で使うのであれば、ある程度の基準を想定しなければいけないであろうと思ったりする。

 

というわけで、今回のハンティングきのこも、ややそんな曖昧な体の名前を有する「ヒトクチタケ」である。

 

松江城マッシュルームマップ - ヒトクチタケ -

 

サルノコシカケ科ヒトクチタケ属のきのこで、学名を「Cryptoporus volvatus」といい、漢字で書くと「一口茸」。

 

今回撮影したのものは上部下部とも白色をしているが、時間がたつと上部が光沢のある黄褐色を帯び、さながら木の表面にくっついた栗饅頭のような体をなす。さらに成熟すると下部に楕円形の穴が空き、中の空洞になった部分から強い臭気を発するため、内部に各種昆虫が群れるという。

 

このヒトクチという名前が、人間の一口にあたいするかどうかは不明ではあるが、確かに一口でパクッと食べられる栗饅頭のようで美味しそうである。しかし食用には適さずとても不味いと文献には書かれている。

 

なぜそんな不味いきのこにヒトクチタケなどという、さながら「パックンチョ」のような美味しそうな和名を付けるのかが、やはり曖昧模糊な日本語の謎である。

 

じゃあ、きょうはそろそろアレがアレなもんで、おいとまいたします、ごめんください。

 

 

 

あいまいな日本の私 (岩波新書)

あいまいな日本の私 (岩波新書)

 
森永 パックンチョ<ちょこ> 47g×10個

森永 パックンチョ<ちょこ> 47g×10個

 

 

 

 

月白貉