ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲が自らの感覚で日本を歩きまわって見聞を広めたように、故郷を離れて旅を続けるぼくが、ぼくの感覚でその土地を歩き回って、見たり聞いたり嗅いだり触ったりした、ぼくの見聞録です。

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明
明

夢の中に描かれる未来と、血筋に忍び寄るサルのような人形の話。

毎夜毎夜、あの夢に出てくる同じ場所はどこなのかということを、朝食を終えたばかりのテーブルに肘をついてしばらく考えてみる。

 

娘のチエが、テーブルの上の茶碗や汁椀や皿を、妻のアヤカが洗い物をしている流し台へと、少しずつ少しずつ運んでいっている。その姿は、神社の儀式の際に巫女が本殿の奥へ厳かに何かを供えに向かっているように、私の目には映る。

 

トタン張りの屋根や壁のようなものに周囲を取り囲まれた細い暗がりの先に小部屋があり、その部屋の引き戸が半分ほど開いている。その引き戸の陰に誰かがいるような、いないような、私はそんな不安を抱えている。その引き戸は木枠に厚さが不均等で歪なガラスの入った古いもので、そのガラスは決して曇りガラスではないのだが、ガラス越しの中の様子がどんよりとした闇に隠れていてまったく窺い知れない。その部屋の脇の更に細くなった空間の先には木でできたボロボロの朱色の小さな鳥居が立っていて、奥には崩れかけた狐の石像にはさまれて稲荷の社が祀られているのが見える。その後ろは鬱蒼とした樹々に覆われていて、やけに靄がかかっている。鳥居の脇には木枠に和紙をはってこさえられた灯籠がおそらく何十と積み上げられていて、その灯籠の和紙には黒い墨のようなもので絵が描かれている。そしてその絵のほとんどすべてが、手だけが異様に長い人間の影のようなものと、あるいは足だけが異様に長い人間の影のようなもので、灯籠の四面の一箇所だけにそのどちらかの絵がグネグネと踊るようにして描かれている。

 

「パパ、まだおちゃはのみますか?」

 

チエがテーブルに肘をついて夢想に耽る私を見上げている。

 

「はい、まだ飲みます。」

 

「はい。」

 

チエはそう言って、流し台のアヤカのところまで駆けてゆくと、彼女のお尻にムギュッと抱きついて、チエの方に顔を向けた彼女に向かってヒソヒソとした小声で何かを話している。するとすぐにまたチエがテーブルの方に駆けてきて、再び私の顔を見上げる。

 

「ヒジをついてはいけないそうです。」

 

「あっ、そうでしたね。失礼しました。」

 

私はテーブルから肘を上げて一度大きく腕を振り上げ、背筋を伸ばして姿勢を正してから椅子に座りなおす。それを見ていたチエがまた、アヤカのところまで駆けて行って、お尻にムギュッとして抱きついている。そしてやはりまた何か、ヒソヒソと話をしている。

 

その小部屋に行く切っ掛けになっているのは、母にその小部屋の天井裏にある何かを取ってきくれと言われるからなのだが、私は部屋の前まで来るといつも頼まれたその何かを忘れてしまっている。けれど、その何かを忘れた状態のまま、部屋の半分開いた引き戸の隙間を縫って、部屋の中に入ってゆく。部屋の中は四畳半ほどの狭い畳敷きで、家具などはまったく置いていないのだが、入口の正面の壁のところにだけ小さなガラス戸の付いた飾り棚のようなものが置いてあり、その中に無数の小さな和人形が折り重なるようにして並べられている。見る限りではその人形のほとんどが女性を象ったもので、一番大きいものでも掌ほどのものなので、そのすべてが子供か赤子のようにして感じられる。私はいつもその飾り棚の中に群れ集っているような人形たちに何かゾワゾワとしたものを感じてすぐに目を背けてしまう。その部屋の天井裏から取って来いと言われたものをすぐにでも捜し出してその部屋を出て行きたいのだが、その何かを忘れてしまっているし、その部屋の天井裏に上がるための方法がわかならない。そもそもその部屋に天井裏なんてものが存在するのかもわからない。しだいに焦りがつのって、それが得も言われぬ悍ましい影となって私に迫ってくる気配がする。私は母に頼まれたものなどもうどうでもよくなって、飛び出すみたいにしてその小部屋を抜け出る。

 

すると必ずそこには、小部屋の脇の稲荷の鳥居の下には、真っ裸で皮と骨だけのように痩せこけていて、両目が重度の白内障を患ったかのように真っ白に濁った老人が、地べたに二人、ゴロゴロとして病床で苦しむみたいにして、寝そべっている。よく見るとその老人のひとりは腕が異様に長く、もう片方は足が異様に長くて、どちらも狂気のごとく化け物じみている。

 

私が肝をつぶして母のもとまで逃げ帰ろうとすると、その二人の老人が私の足を捕まえてしまってまったく離さない。這うようにして四つん這いになって、両手で地面をかきむしって何とか逃れようとするのだが、どんどんどんどんその老人たちの方へ引きずられていってしまう。声をあげようにも何かが喉に詰まってしまったような感じで、息をするのもままならない。その老人たちの掌が徐々に徐々に、私の体をベロベロと、ベタついた唇や舌で舐めまわしているような感触に変わってゆく気がする。

 

そして、その老人たちはものすごい力で私の足を引っ張りながら何かを口々に呟いている。逃げることに必死のはずの私の耳にも、その言葉が聞こえ響いてくる。

 

「パパ、あさのおやつはどうですか?」

 

夢の中に描かれる未来と、血筋に忍び寄るサルのような人形の話。

 

ふと夢想から引きずり戻された私が、台所にいるチエの方に目を向けると、彼女が何かビスケットの入った小袋のようなものを頭上に掲げてこちらを見ている。

 

「ああ、そうですねえ、じゃあ、そのおやつをいただきましょうか。」

 

チエは後ろにいるアヤカのお尻にまたムギュッとして抱きついて、ヒソヒソ話をひとしきり終え、私のところまでそのお菓子の小袋を届けると、踵を返してまた台所に駆け戻っていってしまった。

 

「にんぎょう・・・、・・・わい、にんぎょうが・・・、こわい・・・、」

 

最初は聞き取りづらかった老人たちの言葉が次第にその姿を現してくる。

 

「にんぎょうが、こわい・・・、にんぎょうが、こわい・・・。」

 

「人形が、怖い・・・、人形が、怖い・・・。」

 

私はすぐに、その老人たちの言う人形というのが、脇の小部屋の中にある飾り棚の中の人形のことだということが、何故だかわからないが、そう理解できる。そしていつもすぐに目を背けてしまう人形たちの中に一体だけ、他の女性の姿をした和人形ではない、何か異物めいたおかしな人形が混じっていることを思い出す。それは何か体からザワザワと茶色い毛を生やした奇妙な猿のような人形で、目玉のある場所には目玉を象った装飾はされておらず、ふたつの大きな穴が開いている。口は見えない。口は毛に覆われていて見えないのかもしれない。他の人形たちに塗れているため、顔以外の部分がどうなっているのは、さっぱりかわからない。けれど確かに一体だけ、その猿のような人形が飾り棚の中にいて、それはいつ見ても、その時その時によってまったく違う場所に置かれているような気がする。

 

そしてその時にいつも、私が老人の言葉に気付いた瞬間、飾り棚の中にいる猿のような人形の存在を思い出した時にいつも、急に頭に浮かんでくる事柄がある。

 

その猿のような人形が、私が見ていない時に、誰もその飾り棚に目を向けていない時に、その小部屋に誰も入ってこない時に、飾り棚の中の女性の和人形たちを、その猿の人形が貪り喰っているという、はっきりとした景色ともいえる感覚だった。

 

「ねえパパ、そういえばさ、パパの実家の裏のひいおばあちゃんが住んでたっていう部屋、取り壊すことにしたんでしょ。」

 

「あっ・・・。」

 

「昨日の夜ね、お義母さんに電話したらさあ、ひいおばあちゃんが大切にしてた和人形がね、その部屋の押し入れから飾り棚に入って山ほど出てきたんだって。で、あたしがそういうの好きだって知ってるからさ、ウチに全部送ろうかって言ってるんだけど、送ってもらってもいいかな?なんかねえ、数えてはいないけどすごい数らしくってさ、百や二百どころじゃないってっ!」

 

私はその時、実家での幼いころのおぼろげな記憶の中の景色と、毎夜夢に出てくるあの場所の景色が、重なりあってゆく気がした。けれどアヤカにその小部屋のことを言われるまで、まったくと言っていいほどに、何故かその景色が頭の中からもぎ取られるようにして消えていたような感覚があった。

 

すると突然、アヤカの脇でその話を聞いていたチエが大声を上げて泣き出したかと思うと、怒鳴りつけるような激しい言葉を使って叫び出した。

 

「あんなものは全部燃やせっ!アイツが隠れているだろうがっ!アイツに手と足を食い千切られて死んだんだっ!」

 

チエはその後気絶したようにして床にバタリと倒れた。

 

アヤカがすぐにチエを抱きかかえて、寝室の方に向けて駆けて行った。時々チエがおかしなことを言うことがあると彼女からは聞いてたが、私がそれを聞くのは初めての事だった。

 

そして、一瞬のことだったが、あれはどう考えても、チエの声ではなかった。

 

アヤカの後を追って寝室に入った私が見たのは、ベッドの上でスウスウと穏やかな寝息をたてているチエの姿だった。目の下は涙でビショビショに濡れていた。

 

「大丈夫なのかな・・・、病院に連れて行ったほうが・・・、」

 

「いや、たぶん大丈夫だと思う・・・。時々あるのよ、ここまでじゃないけど、あんな激しいのは今まで見たことないけど・・・、何かひいおばあちゃんのことと、関係あるのかしら・・・。」

 

私は、意味があるかどうかわからなかったが、私がここ数日毎夜みていた夢の話を、アヤカにすべて詳細に話した。そして、その夢に出てくる場所がもしかしたら、あの曾祖母が暮らしていた小部屋のことじゃないだろうか、ということも最後に付け加えた。

 

アヤカはその日、実家の私の母に電話をかけて、その曾祖母の部屋から出てきたというたくさんの人形の中に、猿のような姿をした人形がないかどうかということを聞いていたが、後日送られてきた母からのメールによれば、整理がてらその飾り棚の人形を隈なく見てみたけれど、猿のような人形などは入っていないということだった。

 

結局、アヤカはその人形を譲り受けることは断ったらしく、どこかに供養に出すか、あるいは燃やしたほうがいいのではないかと提案したらしい。けれど私の母はその人形をどこかの古美術商か古道具屋に買い取ってもらったらしく、思いの外高額な値がついたといって喜んでいた。

 

一度私は、チエがあの時のこと覚えているのだろうかと思って、なんの脈絡もなく普段の会話の中に紛れ込ませて、唐突に人形のことについて聞いてみたことがあった。

 

「ねえチエ、あの猿みたいな人形は、もういなくなりましたか?」

 

チエがビクンと体を震わせて激しく首を横にふった瞬間、消されていたはずの居間のテレビの電源がビンっという音を立てて勝手に入り、映像を映す間も無く、またすぐに切れてしまった。

 

チエがおかしな表情で虚空を見つめている。

 

「もやさなかったから、くるそうです。あれは、おなじちのにおいを、もとめて、いずれここにも、くるそうです。」

 

私のみる夢の最後は必ず、あるひとりの女性が、私の名を呼びながらその場に現れて、不気味な老人たちに足を掴まれて藻掻く私を助けてくれたところで、終りを迎えて目が覚める、というものだった。そして同じその夢の中で唯一内容が変わる部分があり、それがその女性が、毎回みるたびに別な人物に変わるということだった。

 

その日みた、同じ夢に出てきたその女性は、まったくの見ず知らずの女性だったのだが、なにかとても親密な感じのする四十代くらいの女性だった。

 

そして、その夢から醒めてふと思ったことがある。

 

あれは、成長したチエの姿だったのではないのだろうか。そしてその女性が最後に、私にこう囁いた気がした。

 

「いつかあいつがここに来ても、私がいるから、大丈夫です。」

 

台所の方から、私を呼ぶチエの声が、耳に届いた。

 

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月白貉