ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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故ジュンミン・ウエダとその隣人に関する事実

地元の郷土史研究家だった祖父の植田潤民が、狒丈山を流れ落ちる渓流の下流域で発見されたのは2018年の年が明けて間もない頃だった。

 

発見したのは地元にある大学の登山サークルのグループ三人で、元日に初日の出を見るために狒丈山山頂を目指して登山に出かけた後、山頂から下山する際に山の麓を流れる大狒川に山から流れ込む渓流沿いの岩の上で、大方の人間なら瞬時に吐き気を催すような無残な姿で横たわっている祖父を発見した彼らが警察に通報したのだった。

 

警察からの連絡を受けた実家の父と母、そして正月休みで実家に帰省していた私が祖父が搬送されたという赤十字病院にすぐさま向かうと、祖父は通常の病室ではなく病院の地下にある霊安室に運び込まれていた。まったく何も置かれていない全面が白色をした無機質で角ばった洞窟内のような霊安室の中央に、折りたたみ式のベッドに仰向けにのせられ全身に真っ白い布をかぶせられた祖父だと思われる人間のシルエットが微動だにせず、まるでマジックショーの空中浮遊でもしているように横たわっていた。

 

病院の入口で私たち三人を出迎えたのはスーツ姿で中年の警察官二人と五十代くらいに見える髪の毛の薄い同病院の男性医師で、警察官のひとりが祖父の上にかぶせられた布を取り去る前に、祖父が所持していた財布の中身にあった運転免許証を私たちに確認して欲しいと言って差し出し、つい数ヶ月前に更新済みの免許証の写真から判断して、ここに横たわっている男性は植田潤民本人に間違いはないと思うと説明した上で、もしこの免許証が私たちの祖父のものであれば布の下を見ることへの覚悟を静かに訴えた。

 

警察官の言葉に私たち三人が顔を見合わせてしばらく沈黙した後、横にいた医師が間に入るようにしてゆっくりと話しだした。

 

「この状況で当然おわかりかと思いますが、潤民さんだと思われるこの方は、救急隊員が現場に到着した時点ですでに亡くなられていたことが確認されています。この後の警察での検死解剖をご了承頂いた後、それを踏まえて警察の方で詳しく調べてみないことには確かなことは言えないと思いますが、現状をお伝えしますと、遺体の損傷がかなり激しくなっていまして、私のような職業の者でも正直見るに耐えない状態です。ですので、もしこれが植田潤民さん本人だとしてあなた方がそのご親族だということ云々に関わらず、私としてはこの段階で布の下を見ることはおやめになったほうがよろしいかと思いますが、いかがでしょうか?」

 

医師はそう告げた後すぐに警察官二人の方に顔を向けると、彼らは誰に対するともなく朧気に首を小さく何度も縦に振った。

 

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若い頃から狂的と言えるほどの知識欲を持っていたと言われる祖父は地元ではある程度名を知られた郷土史研究家で、研究の成果としての著作を何冊も自費出版していた。著書の内容は地元の歴史を掘り下げた土俗や風習、そして民間信仰などに触れたものがほとんどで、郷土史研究家というよりはアマチュア民俗学者的な傾向が強かったのだが、かなり古い時代の地域の民俗信仰に関する考察として、『白狒々信仰の考察』および『白い猿神の行方』と題する著作を出版以降、そのあまりにも異様な内容から祖父の肩書には奇人とか変人という言葉が付きまとっていた。祖父の集大成と言っても過言ではないこの二つの著作の内容の一部に関して、祖父は私がまだ幼い頃からまるで昔話でも語るようにして毎晩のように口にしていた。そしてその中には私の生まれ故郷であるこの大狒町の名前の由来にも関わる事柄も含まれていたことを覚えている。

 

一般的に語られている地名の語源は、この地域の象徴でもある町を望むピラミッドのような独特な形をした山の後ろから昇る太陽の姿を讃えたことに由来する大日だといわれているのだが、祖父の説はそれとは大きく異なっていた。

 

祖父によれば大狒の由来とは、古い時代にこの地の人々に崇められていた神の名前から来ているということだった。その神はかつて、神殿に見立てられた山の山頂に石製の偶像として祀られていて、それは巨大な狒々の姿をしていたということだった。その信仰は白狒々信仰あるいは白猿神信仰という名でずいぶん後世まで残存していて、その聖地となっていた山こそ現在の狒丈山であり、祖父によれば山頂の祭祀場のみならず山自体が人工の建造物だということだった。

 

ー 続く ー

 

 

 

月白貉