ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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2019-09-01から1日間の記事一覧

彼方より、日記。

ぼくは、おそらくだが、戻る場所を失ってしまった。 誰も彼もが、戻る場所を持っているわけじゃないことは知っている。ただ、多くの誰かには戻る場所があるはずさ。戻る場所があるってことは、帰る場所があるってことは、たぶん、たぶんそれは大きな救いなん…