ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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2019-02-17から1日間の記事一覧

未知なるものへの疑いと恐れ、けれど歩き出す勇気と強さ、イーサン・チャンサー監督による『アマラ(AMARA)』

多くは物語らないけれど、けれどね、その重厚な近未来的世界観、そういうものがぼくは大好物である。 描かれていないものが、場合によってはすべてなこともある。 必ずしも近未来ではなくてもよいかな、レトロフューチャーでも、ファンタジーでも、あるいは…

たとえば夜の夢をみたことがない人がいるなら、改めて丁重にこんばんは日記。

眠っている時間にみる夢の中で、それが夢の中だと完全に認識しているケースが有ることは、おそらくだが多くの人が経験していることだろう。 そういう範疇をまったく超越した、純カオスたる夢も一方ではあるが。けれどそれはさておき、比較的ドラマティックな…