ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲が自らの感覚で日本を歩きまわって見聞を広めたように、故郷を離れて旅を続けるぼくが、ぼくの感覚でその土地を歩き回って、見たり聞いたり嗅いだり触ったりした、ぼくの見聞録です。

空はなぜ青いのか?

朝ごはんを食べていたら、目の前に置かれた電源の入っていないノートPCのモニター部分に、背後の窓の外が映っていた。

 

その空の青さが異常なほどに美しかったので、箸を止めて後ろをふりかえって窓の外の空を見上げると、大して美しくもなく、普通に白けたいつもの朝の空だった。

 

もう一度食卓に向き直って味噌汁の入った椀に手を伸ばしながら、そのノートPCのモニターに映る空に再び目をやると、やはりなんとも言われぬ美しい青色をしていて、しばらく味噌汁を啜るのを忘れて、その青い空に見入っていた。

 

もしかしたらそれは自分の背後の空ではなくて、別な場所の空が映っていやしないかと疑ってみたりしたが、そんなはずはなかった。けれど、至極真面目にそう考えてしまうほどに、その空は美しく、この世のものとは思えなかった。

 

あるいは、ノートPCの中にはまた別の世界があり、時折それが何かの拍子に、こちら側の世界から垣間見える瞬間があるのではないのだろうか。例えば、鏡の中にはあたりまえに別の世界があるように。

 

けれど人々はこう言う、「そんなことなどありえない」と。

 

でも、『ありえないな』ということがこの世界には存在しないように、誰にも『ありえない』という言葉を使うことは、ほんとうは出来ない。

 

だから今、この目の前に置かれたノートPCの中には然るべき空があり、それはそこに然るべき世界があるから。そうとでも考えなければ、あんなに美しい空の青など、それこそあり得ない。

 

横に座る連れが早々に食事を終え、台所でコーヒーをいれている香りが漂ってくる。

 

この瞬間にも、ぼくの住む世界では、人間がたくさん死んだり、砂漠を嵐が通り過ぎたり、海に三色の虹がかかったりしているだろう。

 

けれど、然るべき空の青は依然として美しく、それは遠く離れたこの、薄汚れたような青しか持ち得ない世界の朝の始まりには、すこし眩しすぎるように思われた。

 

空はなぜ青いのか?

 

 

 

 

 

月白貉