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ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲が自らの感覚で日本を歩きまわって見聞を広めたように、故郷を離れて旅を続けるぼくが、ぼくの感覚でその土地を歩き回って、見たり聞いたり嗅いだり触ったりした、ぼくの見聞録です。

午前0時なので、誰も読まないであろう、本当は怖い普通の階段の怪談。

小説 小説-短編 小説-階段の怪談

大学生の頃に、個人経営のカラオケボックスでアルバイトをしていた。

 

三階建の小さなビルを利用した店で、一階に受付と厨房、そして団体用の広い個室が一室、二階に中型と小型の個室合わせて八室の、合計九室しかない小規模のカラオケボックスだった。ちなみに三階はオーナーが経営する不動産会社の事務所だった。

 

ぼくはそこで約二年間働いていたので、後半は店の業務のほぼすべてをひとりでこなせるようになっていて、あまり混み合わない平日の夜などはたった一人で店を賄っていたこともある。

 

都心からも、そして駅からも離れていたこともあって、客のほとんどは地元の常連客だったのだが、週末の夜は流石に混み合った。厚意にしてくれている常連も多く、その理由のひとつには、例えばフランチャイズカラオケボックスのような、マニュアル通りの経営ではなかったからかもしれない。カラオケボックスなのに、馴染みの居酒屋のような感覚で、歌は歌わないけれど酒を飲みに来る、という客も多かった。なぜなら、つまみが美味かったのだろうと思う。もちろん少人数でやりくりするために、冷凍食品も少なからず駆使はしていたのだが、大方のつまみは下手な居酒屋よりもまじめに作っていた。前日から仕込みをするほどだった。だから当然、手間もかかるのだが、それだけやりがいもあった。

 

先に言ってしまうと、当時その店の店長をしていた店のオーナーの娘さんがトンデモナイ霊感の持ち主で、このビルには何かがいるから怖い怖いと、事あるごとに笑いながら言っていた。最初は冗談かと思って聞いていたのだが、「怖い」と発する時の目が、何か見えないモノを凝視する猫の目のように変化するので、あながち冗談でもないのじゃないかと、薄々思っていた。

 

ある土曜日、先にも述べたように週末は流石の猿飛よろしくに混み合うので、店長とぼくと、もうひとり、ぼくよりも長く務めているアルバイトの小林くんと三人で、慌ただしく店を賄っていた。まあ通常の土曜日の如くである。手も足も止まらないような、なかなか忙しい時間を過ごして、やっと息をついた頃には午前0時を回っていた。その段階でピタッと客足が途絶えたので、店長はその状況を見計らって、「じゃあ、あとはよろしくね。」と言って、店に迎えに来ていたご亭主の車に乗って帰っていった。

 

各個室の片付けをして、グラスや食器の洗い物をして、トイレや厨房の掃除をして、気が付けばあとわずかで午前二時、閉店の時間である。客足は途絶えた。

 

ぼくと小林くん以外には誰もいない店の中で、カウンター内の丸いパイプ椅子にやっと腰を下ろし、閉店間際にふ〜っと一息つく。カウンターは店の入口の真向かいにあり、カウンターの奥に小さな厨房が備わっている。一人二人がぎりぎり行き交いできるほどの小さな空間である。ぼくは厨房のガスコンロに向かって店の入口を背にして座り、小林くんはそれとは逆で厨房のガスコンロを背に、カウンター越しに店の入り口に向かって座っていた。

 

店の入り口を入ってすぐの左手には、二階のフロアに上がるための階段があった。入り口からはその二階へ上がるステップを見渡せるが、カウンターの中からは階段の側面の壁しか見ることは出来ない。

 

室内の電気も店先の看板の電気も大方消し終えて、入り口の自動ドアの電源も切って、あとはカウンター内の電気だけを残し、しばらく二人で向い合って談笑をはじめる。まあ、いつものような仕事終わりの軽い息抜きと言った体で、くだらない雑談をしばらく繰り広げる。

 

すると、ぼくの背後から階段を降りてくる人の足音が聞こえてくる。長く働いているから、いつも聞き慣れたものでよく知っている。二階のフロアへ続く絨毯張りの階段を、降りてくる人の足音である。その音は小林くんにも当然聞こえているようで、二人で顔を見合わせる。店の最終業務として、売上を三階にある事務所の金庫に入れる、というものがあるのだが、まだそれは終わらせていないから、もしかしたら事務所にまだ誰か残っていたのかも知れないとも思ったが、今は真夜中の二時である。

 

階段を降りてくる足音は、一階まで下りきったであろう場所で止まり、音は聞こえなくなる。ぼくはてっきり、帰ったと思っていた店長がまだ三階の事務所に残っていて降りてきたのかと思ったのだが、小林くんの顔が青白く凍りついている。

 

「店長がまだいたのかな?」とぼくが声を出すと、小林くんは黙ったまま、入り口の辺りを凝視している。どうも様子がおかしい。もう一度声をかけようとしてぼくが口をわずかに開けようとすると、それを静止するようにして小林くんが口を開く。

 

「誰も降りてきてない・・・。」

 

夜も遅いので、誰も読まないであろう、本当は怖い普通の階段の怪談。

 

その言葉を聞いて、なにか体中にザワザワとしたものが走り抜けるが、それを差し置いてガバッと入り口の方に振り返ると、確かにそこには誰もいない。足音は確かに聞こえていた。他に似たような音を発するものは、店内には存在しない。

 

「こわいね・・・」と、顔を引きつらせながら小林くんが言う。確かに怖い。「怖いから、ちょっと歌おうか・・・」と、小林くんはぼくの返事を聞かないまま、カウンターの横にある団体向けの広い個室に小走りに入っていってしまった。

 

カウンター内にひとりになって、急に空気が収縮したような恐怖が襲ってきて、小林くんの後を追って慌てて個室に向かう。

 

別の空間に移動したからなのか、小林くんの顔色がすっかり元に戻っていて、すでにコントローラーで選曲を終わらせて、イントロが流れ始めていた。ミスターチルドレンのシーソーゲームだった。しかし次の瞬間、カラオケのマシンの電源がシューンという音と共にダウンする。原因はわからない、ずいぶん長くここで働いているけれど、そんなことは初めてだった。二人ともまさに豆鉄砲を食らった鳩のような顔になっていた。

 

個室の外から再び足音が、入口の方からカウンターに向けて歩いてくるのが聞こえてきたかと思うと、カウンター内の厨房の冷蔵庫をバタバタと開け閉めする音が聞こえてくる。小林くんは少し溶けたように目を垂れ下がらせて、半分泣いたような顔をして、黙っている。

 

と、個室の部屋の電気が、おかしな具合に消え始めた。部屋の天井には四カ所、計八本の細長い蛍光灯が取り付けられているのだが、それがパチパチとチラつきながら、一本ずつ等間隔に静かに消えだした。その部屋の電気のスイッチはひとつしかなく、点けるか消すかの制御しか、つまりすべて点けるかすべて消すかしか、その選択肢しか人間には出来ない。けれどその時、八本ある蛍光灯が、一本ずつ消えだした。

 

そこから、恐怖が始まる。

 

お題「怪談」

 

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月白貉

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