ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

follow us in feedly

タトゥー 後編 其ノ弐

西アフリカ奥地の森のなかに住むある部族には、生まれながらにして体に模様を持つ子どもたちがいたという記録が残っている。

 

体の模様に関する一般的な考察によれば、いわゆる原始の入れ墨に関して、その起源は外的な要因による偶発的な身体への着色(傷や怪我などの中に植物の色素などが入りこんで出来るもの)、あるいは後にそのことを利用した、刃物などによる身体への傷口に天然の色素で着色する身体装飾という見解がなされている。けれどこの部族では、外的な要因による着色とはまったく別に、母親の胎内から生まれ落ちた際にすでに、体に模様を持っている子どもたちがいたと言われている。

 

その模様は、生まれたばかりの頃には大抵は体の背面(主に背中や臀部)に小さなアザのようにあるだけだったが、子どもの成長に伴ってその模様も次第に大きく変化してゆき、十代の半ばに差し掛かる頃には、その模様は背中を中心としてほぼ全身に広がり、さらにそれは模様という域を大きく超えて、なにか具象的な図柄を成したという。

 

その特殊な模様を持って生まれた子どもたちは、部族の中でも神聖視され特別に扱われ、また、その模様を持った子どもたちはいわゆる隠れた指導者、あるいは暗黙のうちに神官や王のような扱いを受けていた。模様を持つ子どもがある年齢に達すると、部族の人々は彼らに、天候や猟の良し悪し、病や傷の癒やし、そして敵対する部族への間接的な攻撃(呪術的接触など)を求め、模様を持つ者たちはそれを成し得ていた。

 

しかしその体の模様が、成長と共に広がり首を越えて頭部に及ぶと、模様を持つ者たちは首を切られ殺された。そして、その死体は首も含め土葬ではなく焼かれたという。

 

部族の伝説によれば、一番始めに模様を持って生まれた者の体を覆う模様が首を越えて頭部に達した後に、その者は手を地につけて四足で歩き、部族の人々を糧として食らうようになり、その後部族の半数を食べ尽くした後、集落の東方にある湖に姿を消したという。

 

その湖は、古くからの部族の習わしにより、底がない悪しき淀みの地だといわれており、決して近づくもののない場所だった。

 

 

 

 

「で、その論文は読んだの?」

 

コンゴっ!!!」

 

「なに・・・、コンゴって、アフリカ?」

 

「ごめん、自分の中で話したいことが膨らみすぎて先走った・・・。そう、アフリカ、イエスをさ、コンゴで代用したくてたまらなくなったから、それだけ。」

 

「そうですか・・・、急にテンションがあがったなあと思って。カリンのことを少し学んだよ。それで、タトゥーの話、きみのこの模様の話、それがコンゴに関係があるのかな、なんだか若干壮大になってきたけれど。」

 

「うん・・・、いや、関係あるかは、わかんないし、その論文は、当時わたしが読むには、まあ今でもだと思うけどなかなか難しくてさあ・・・、でも気になった部分があったの。アフリカの先住民族に関する体の模様の話と、湖に住む伝説上の怪物の話。」

 

先住民族と湖の怪物、コンゴかあ、」

 

「きみ、もしかしてコンゴに詳しいの!?」

 

「いや、まったくコンゴになんて詳しくないよ・・・、ただ、あのあたりの湖の怪物伝説っていえば、モケーレ・ムベンベを思い出す。昔テレビでさ、モケーレ・ムベンベを探し出せっていうやつ、まあ、フェイクドキュメンタリーまがいの番組だけれど、観た記憶がある。」

 

「へ〜、そうなんだ。モケーレ・ムベンベってどういう意味なのかな?」

 

「あ〜、なんだっけなあ、たしか現地の言葉で、大きくて水を堰き止めちゃうとかなんとか、そんな意味じゃなかったかな。」

 

「めっちゃ詳しいやん、モケーレについて!」

 

「いやいや・・・、詳しくないから。そんで、モケーレって、もはやクラスメイトかよ。」

 

「今度からきみのことモケーレって呼ぶ、イタリアの少年みたいで、なんかいいね。」

 

「呼ばないでよ、やだよ。」