ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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化石のように乾いた、ある朝の日記。

早朝の道端にカメが突っ伏していた。

 

小さいガメラみたいな姿で、たぶんイシガメの幼体だと思う。水辺からはかなり離れた場所だった。どこで生まれてどこに行こうとしていのかはわからないが、カラカラに乾いて歩を止めた状態で突っ伏しているその姿は、カメに詳しくないぼくでも、放っておいたらいずれ死ぬのだろうということは、少し理解できた。

 

最初は死体なのかと思った。

 

歩行途中の体勢で、おかしなエクササイズのポーズのように、ずっと止まっていて、目も閉じていたからだ。けれど、ぼくがその体を覗き込むと、甲羅に埋めた顔の左目が少しだけ開いて、その瞳がぼくを突き刺した。

 

ぼくはその小さなカメを手に取り、走り出した。

 

一番近い水辺は湖岸の小さな砂浜だった。

 

けれどその日はすさまじい強風で、一番近い湖の浜は地獄みたいな波が荒れ狂っていて、死にぞこないの小さなカメを起き捨てるわけにはいかないと思った。

 

だからさらに走り続けた。

 

その先にある、ずっと先にある、穏やかな川沿いに連れてゆくべきだと思ったからだ。

 

途中、カメの手足と尻尾が徐々に力なくダランと垂れ下がりはじめた。ぼくの手の中で、カメは死にはじめている、そう感じられた。

 

なにかできることはないかと思い、カラカラに乾いたカメの体を公衆便所の手洗い場の水に浸し、それからすぐにまた、川に向けて走りはじめた。

 

いま死にかけているカメに必要なものが、いったいなんなのか、たぶんぼくには到底理解なんて出来てはいない。死にかけているのかどうか、それさえわからない。死にかけているというのは、ぼくの勝手な判断に過ぎない。ぼくが今やっていることは、彼の大切な行動に対する圧倒的な妨害行為かも知れない。それでも、一度踏み込んでしまった世界の事柄を、たとえそれが誤りだったとしても、途中で投げ出すわけにはいかない。そういうことを投げ出せない質なのだ。

 

公衆便所の水に浸した事で、カメが少し動き出して、ぼくの手の中でもがきはじめて、けれどまた、ぱたりと動かなくなった。ただその時、カメは両目を開いていて、ぼくを見つめているように思えた。

 

しばらくして、川辺りにたどり着いた。

 

ぼくはカメをその川辺りに放し、甲羅を何度かトントンと静かに叩いた。

 

カメは生きていて、ブリキのおもちゃみたいにぎこちなく手足と頭を甲羅から突き出して、二三歩ユラユラと歩いた後、こちらを振り返った。

 

明らかにこちらを振り返った。

 

それはぼくの方を、なにかの大きな意味があって、ぼくに対して、振り返ったように見えた。

 

そして、そのまま動かなくなった。その体勢のまま、ずっと動かなくなった。

 

いろんなことが間に合わなかったのかと、ぼくは思い、けれどその場で動かなくなったカメの姿を十数分見つめた後に、その場を去った。

 

 

数時間後、ぼくはその場所を再び訪れた。その川辺りのカメがどうなっているのかを、見に行かなければならないと思ったからだ。

 

カメの姿はなくなっていた。

 

いなくなっていたのか、なくなっていたのか、それはわからない。

 

自分の力で歩きだしたのか、波にさらわれてしまったのか、鳥に喰らわれたのか、それを知るすべは、ぼくにはなかった。

 

なぜぼくは、あのカメを放置せずに、手に持って走ったのだろう。

 

いまでもよくわからない。

 

その日の朝は、やりたいことがたくさんあって、寄りたい場所がたくさんあって、前日からずっとそのことばかり思っていた。けれどそのカメに出会ったことで、そのすべてがぼくの中から消え失せていて、気がつけば、薄汚れた川辺りに小さなカメの体を解き放っていた。

 

「川辺りに連れて行かなきゃ!」

 

あの短い瞬間、あるいは長い刹那、ぼくはそのことだけに満たされていた。

 

彼の瞳のことを、今でも生々しく覚えている。

ぼくを見つめる瞳のことを。