ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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シベリアの凍えるナイフ日記。

ヒステリア・シベリアナ

 

村上春樹の小説『国境の南、太陽の西』にそんな病気の名前が登場する。おそらくは架空の病名だと思う。

 

北方、辺境の農夫が、毎日毎日荒野を耕し続けた後に、ある日、ふと農具を捨て去って西に向かって歩き出し、そして歩き続けた挙げ句に、突っ伏して死んでしまう。

 

そういう病気だそうだ。

 

国境の南、太陽の西』は何度も何度も読み返した作品、文筆はすごく静かな世界だが、細やかな奥深さと熱があり、なかなか荒々しく、ぼくは好きな作品だ。

 

ヒステリア・シベリアナ。

 

作品を読んだあの日、ぼくは自分がその病気にかかるのではないだろうかと、ちょっと期待していた。

 

そして昨今、たぶんぼくは、いま、ヒステリア・シベリアナ感染中だと思っている。

 

まだ初期症状、まだ歩き出さない、歩き出していない。

 

でもね・・・、

 

そんな日々だけれど、いたってポジティブ。

 

ほんとうは、そのポジティブを粉砕して、ダークな世界に飛び込みたい。

 

闇は、ある意味では楽園なのさ。

 

すべてを捨て去って、ここからどこかへ歩き出す。すごく簡単なことなんだけれど、そこには、なんだかさ、自らの心臓をナイフで突き刺すような覚悟が必要でもある。

 

おやすみ。