ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

follow us in feedly

目を閉じちゃいけない、それが決まりなんだウォーキングジョニー日記。

ジャックダニエルで歯を磨こうと思って近所の陰気臭い酒屋に買いに行ったけれど、結局安売りしていたジョニーウォーカーとフェイマスグラウスを買って帰ってきた数日前。

 

ボウモアとか買おうかと迷ったけれど、この頃のうらぶれたぼくには安いブレンデッドで十分。

 

いまは、50円で売っていた半ば干からびたリンゴをつまみにジョニーウォーカーをストレートで飲んでいる。リンゴとスコッチはやけに合う。本当は全粒粉のパンにリンゴとチーズをのせて焼いて、バターなんか加えちゃって、という欲望が溢れ出たのだが、お米メインの食後でお腹がいっぱいだったのでリンゴだけをかじっている。

 

まあ、ジャンクな日記を書くにはうってつけの時間だ。

 

ジョニーウォーカーなんて久しぶりに飲む。基本的にあまり蒸留酒をストレートで飲むことはない。食事を食べながらお酒を飲むことが多いので、日本酒かワインか、ここ数年はビールもほとんど飲まなくなった。

 

若かりし頃は、ジンとかラムとかウォッカとかテキーラとか、さして味とか関係なくアホみたいに飲んでいたけれど(いや味にはこだわって銘柄を選んでいたな)、あんまり飲まなくなった。ただ食事によっては、特にメキシコ料理とか作ったときには無駄にテキーラが飲みたくなって、久しぶりにちゃんと味わって飲むテキーラって、安いやつでもなかなか美味しい。セビーチェとかチリコンカルネとかサルサとか貪りながらのむテキーラは美味しい。

 

去年の夏は、ウォッカをたくさん飲んだ。込み入った事情があってウォッカをしこたま買い込んでさ、その時も久しぶりに味わってちゃんと飲むウォッカは美味しかった。つまみは大抵は和食だった、漬物とか、焼き鳥とか、もちろん手製の漬物で、手製のやきとりだが、なかなかスッキリガツンなウォッカのロックがあう。

 

『ミーハーdeCINEMA』のseicolinさんが毎日ウォッカをロシアのブルジョアばりにがぶ飲みしているという話を聞いて、あの時もウォッカブーム到来だったが、彼女から耳打ちされた「ウォッカは良質な豆腐をつまみに、飲め。」という課題は、いつもすっかり忘れてしまって、いまだに未体験ゾーン。この日記を書いていて思い出したから、悪魔的な残暑のうちに、明日はウォッカと豆腐かな。

 

ジョニーウォーカーか・・・、『海辺のカフカ』を読んだのは、いつの頃だったか、もうずいぶん昔だ。"猫殺し"ジョニーウォーカー。あの物語にはカーネルサンダースも出てくる。そして、たしか『ヒドゥン』みたいなシーンも出てくる。

 

ぼくは、あの主人公が住んでいた町のすぐ近くに、ほぼ同じ地域に、いっとき住んでいた。そしてその数年後、バックパックを背負って高松にも行った。どちらもあの物語を読んでからずいぶんあとのことだし、物語を意識した行動ではなかった。そんなことすっかり忘れていて、それからしばらくして、ある日『海辺のカフカ』を再び読み返した時に、なんだか奇妙な感覚を味わったんだ。

 

一年半くらい、まともに人と話していなくて、言葉を発する機会が激減したためか、声喪失の山が襲ってきて、ここ数日ほとんど声がでない。

 

だから一昨日ね、数ヶ月前から時々道ですれ違う女の子に、「おはようございます」って唐突に言ってみた。彼女は少し驚いたようにして、「こ、こんにちは」と一応挨拶を返してくれた。あるいはとんだ変質者かと思われたかもしれないけれど、たぶんもう彼女と何十回もすれ違う度に、彼女はおそらくは不機嫌そうな顔をしてすごいスピードで歩いているぼくに、挨拶をしようとしていたような気がしたんだよ。

 

まあ、もう一度言うが、とんだ変質者だと思われた可能性は、無限大。

 

でも大丈夫、ぼくはとんだ変質者であり、同時に聖人君子でもある。それが自分でわかっていればなんの問題もない。

 

日記はいつだって唐突に終わる。雨や風が、突然止むように。