ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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こっこ、こけっこ、コケコ、怖い日記。

夏もそろそろ、そろそろそろりと終わりを迎えるので、めったに書かない怖い話を少し書こう。

 

めったに書かないから、歯を食いしばって、寝る前には歯を磨けよ、おいおい。

 

つい最近、映画館で働いている友人から聞いた話。

 

「同僚におばけを見る人がいるの、劇場が空いている時間帯に、館内を気持ち悪い影が動き回ってるって。」

 

影っていうのは人の形をしているのかと聞いたら、それはよくわからないらしい。

 

「人間の影ってわけでもないらしい・・・、人の形でもないらしい・・・、わかんないよ、わたしは見えないからわかんないけど、そのひとは、おばけだって言ってた。」

 

人じゃないところが、こわいなあと思ったが、ぼくが数年前に住んでいた山間の集落でも、「人が四つん這いで、いや人じゃないな、犬みたいな四足の影が、まだ日が出ない早朝に、〇〇寺のあたりをうろついているんだ・・・、あのトンネルのとこだ、それが恐ろしくて・・・、」という話を、新聞配達をしている人から聞いたことがある。

 

その人は、完全にその何かの影を見ている、実際に目にしている様子だった。

 

その小さな集落で、恐ろしいと噂されている古いトンネル周辺の話だ。メディアにもネットの情報にも一切出てこないトンネルだからこそ、ちょっと恐ろしい。

 

大多数の人と同様、ぼくにも、そういうものは、たぶんあまり見えないのだと思っている。日常的に、なにか異常なものを目にしているという意識も薄いし、霊感だとか心霊スポットだとかってものにも、強い興味はあるけれど、実体験としてはあまり縁がない。

 

ただ、おかしなものを見かけたんじゃないのかな、という不可思議な経験は、実はすさまじく多い。

 

前述の、その山奥のトンネルもさ、何十回も歩いて通過したけれど、確かにやや異常なことが何度かあったなあと・・・。

 

いつかそういうことが、能力として開花するのかな。

 

しなくてもいいけどね。

 

めんどくさいし、こわいし。

 

にゃふ。