ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

follow us in feedly

アラーム番町皿屋敷、眠りが足りない日記。

午前四時から一時間ごとに設定したiPhoneのアラーム、四回目には起きなければならないというなんだか拷問みたいなルールをいつからだったか、自らに課すようになって、そんな日々が続いた。もとい、続いている。いったいどれほど続いただろうか。確か二ヶ月、いや半年かな、もっとかな、よく覚えていない。

 

その四回の燃え盛るムチを伴ったような警告を、ぜんぶ記憶している日もあれば、最後の一回しか、つまり午前七時のアラームしか覚えていない日もある。

 

やはり過酷な罰のようなものなんだと、おもふ。

 

でもね、なんだかその四回アラームには、おかしな快楽があるのだ。

 

四時にムチを打たれる、まだあと三時間も眠れる。

 

五時にムチを打たれる、まだあと二時間もある。

 

六時に、再びムチを打たれる、一時間残ってるじゃん(よだれ)!!!

 

自分で課しているとは言え、精神的に、あまりよろしくない行為かもなあと、ふと今、おもふ。

 

けれど、その業火のムチも無視して、起きないことも時々あるんだ、あえて起きない。眠りたいし、もう諦める。ぼくにはそういう、ある意味の強靭な精神力もある、と勝手に思っている。

 

やりたくないことを毎日毎日無理矢理にやらなければいけないなんてことは、それがどれだけの経験につながろうが、大金につながろうが、まったくもって馬鹿げた行為だと思う。

 

眠りたいだけ眠って、起きた時に全身全霊で自分の光を紡ぎ、疲れたら大いに食べて飲み、眠たくなったら眠る。そこにはアラームも、経験も大金も、地位も名誉も、そんなクソ忌々しいものは一切なく、純粋な生きる時間がある。

 

嗚呼、四回アラームやめよう、やめたらたぶん、一年くらい起きないだろうなあ。

 

One year sleeping.

 

f:id:geppakumujina:20190821224815p:plain