ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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ヴァン・ヘルシング

「いつもすみません、なにせもうこの歳で、パソコンに関してはあなただけが頼りで・・・、もう神頼みと言ってもいい。」

 

「神というよりは、あなたは魔法使いよ。神様はぜんぜん助けてはくれないけれど、白田さんはぜんぶ解決してくれるでしょ。ほんとうにあなたは魔法使いですよ。魔法使いなんて言ったらねえ、ははは、神に敵対する勢力みたいだけれど、まあいいじゃないですか、だってあなたはいつも助けてくれる。それがいいわよ、神様なんかよりよっぽどいい、まいどまいど貴重な休みを切り裂くみたいにして、こんな老夫婦の家で時間を過ごさせて、ほんとうにごめんなさいね。」

 

とある知人を通じて知り合いになった元大学教授と、時々会って話をするようになってからもう三年が経とうとしていた。知り合って三年も経つが、彼の専門が農学だという曖昧な情報以外、ぼくは彼のことをあまりよく知らなかった。そもそもぼくは農学なるものが何たるかを、ほぼまったく知らない。

 

ただ繰り返し彼と何気ない会話を交わす中で気付いたことがひとつあった。それはぼくが彼と話しをしていて、苦痛を感じることがない、という事柄だった。

 

誰かとの会話の中では、多かれ少なかれ、自分の思っていることとは真逆のことがふわふわと、あるいはゾロゾロと、浮かび上がり、湧き出してくる。出てくるだけならまだしも、そういうものを多くの人は野放しにするから、その場で細かく不快な言葉が、暴走を始める。

 

その嫌な羽虫の群れみたいに飛び回る言葉や考えを半ば無視して話を続ける、もしくは無理をして受け入れて我慢する、そういうことがコミュニケーション能力だとか言われているが、それは正気の沙汰ではない、とぼくは感じているため、そういう人々との時間は、基本的に御免こうむることにしている。それは極端なケースではなく、誰かと話をする時間の94%くらいは、竜巻の如き巨大な蚊柱の中にいるようなものだ。

 

簡単に言ってしまえば、会話とは、運命的に出会った気の合う人との静やかな雑談の末に成り立った言葉の総体であり、一方的な思想を伴った乱雑で狂った演説に相槌を打つことを会話とは呼ばない、たぶんそういうことだと思う。

 

その元大学教授とは、ずいぶん二人でいろんな話をしたけれど、いまだにぼくが彼について知っていることは少ない。もしかすると、彼がぼくと接する中で、自分のことをなにも押し付けてこないからかもしれない。

 

出身は京都だということで、京都でもかなり名のある木工職人の家に生まれたと言っていたが、彼はあまり体が丈夫ではなく、職人の道には進まなかったらしい。「そして、今はこんな風です。」と言っていた。もうひとつぼくが彼について知っている事実は、唐辛子が苦手だということだった。

 

名前は入実高師(いるみたかし)、名字も名前もちょっと、ほかではあまり聞いたことがない。

 

「白田さんは、中国へは行ったことがありますか?」

 

「いえ、ないです。」

 

「そうですか、私は大学の関係で長く中国に滞在していましたよ、それもずいぶん辺境の方にねえ。いろんな宗教が混在する境の土地で、いろんなものを目にしました。そんな場所だから食事なんかは、いろんなものがあってねえ、それはなかなかよかった。」

 

入実さんは食べることが好きで食の話題は多く、何度か食事を共にしたが、味覚にも優れているように思えた。

 

「そうですかあ、ぼくも、もっともっと若いうちに、いろんな国に行ってみるべきだったかもしれません。いまからでも、行けるかなあ。」

 

「行こうと思えばいつだって、行かなきゃと思う場所があるなら、いつだって、いけるんじゃないでしょうか。流石に私は最近体が付いてこないけれど、行かなきゃとか、やらなきゃって思うことは山積みでね、パソコンなんか使いたくないけれど、なにせいろんな問題の先頭にたってあれやこれや動いてるもんだから、たくさんメールが来るんですよ、電話じゃなく、今はぜんぶメールです。でもパソコンの調子が悪かったりしてねえ、どうにもならないことが起こる。それで、どうにもならないと、あなたに助けを求める。」

 

「ははは、ぼくも少しは役に立ってるわけですね。」

 

「妻が言っていましたよ、白田さんはウィザードだ、ってねえ。」

 

「この間も電話で言われました、あなたはウィザードだって、そんな賛辞をいただきました。なんだか、すごくうれしかったなあ。そしてウィザードの発音がすごくかっこよかった、それもなんだかうれしかったです。」

 

「そうですか。」

 

入実さんが穏やかな笑みを浮かべた。

 

「そういえばね、そうだそうだ、数日前に、東欧にいる知り合いからずいぶん久しぶりに連絡が来たんです、メールでねえ。前にもお話したかもしれないけれど、民俗学的な見地から吸血鬼という存在を調べていて、論文や、それと本なんかも何冊か出してる人物なんですが、」

 

「あっ、河童の話をした時に言っていた人っ、ですか?」

 

「ああ、あれねえ、河童の人物はまた別です、白田さんはこのあたりの河童伝承を調べているとか・・・、言ってましたねえ・・・、あっ、そうそう、そうだ、その時に話題に出たその人物です、吸血鬼の、なんでしたか、」

 

「あっ、はい、まあ、調べてるっていうか、素人なりにですが、ちょっと気になることがあって、この地域の河童伝承を、フィールドワークでひとつひとつ潰していっています。大方は近年になって話が濁されてしまったもので、まあ嘘というか、ごく地域的な単なる真似事や噂話に近いお遊びの伝播で、実態は一切ないんですが、その中でひとつだけ気になるものがあって。その時に吸血鬼の話になって、その人の話が、」

 

「河童の話・・・、ああ、そうだそうだ、」

 

「前にも一度お話したから、覚えていますか?」

 

「ははは、もうこの歳になると、記憶を維持するのもなかなか過酷なものですねえ。思い出しました。白田さんが探し当てたという、河童のミイラの話ですね。そうだそうだ、思い出しました。」

 

「はい、実物は見せてもらえませんでした。何回かしつこくお願いしたけれど、断られました。」

 

「はいはい、そうですね。」

 

「ただ、その引退した神主さんの話だと、本当は河童じゃないって。」

 

「誘い水の力は大きい、もう聞いたのは確か三年ほど前のことでしたかね、それを聞いたのは。昨日のことのように思い出しましたよ、白田さんがずいぶん興奮して話していたその内容を。」

 

「はい。」

 

「たしか東欧に伝わる吸血鬼に似た名前を、神主さんが口にしたとか、」

 

「はい、巣盗子ノ異界ノ者、だと言っていました。」

 

「すとりごの・・・、」

 

「たぶん、ストリゴイのことじゃないかなって。」