もしもしメロス、おれだよ、おれも走ってるよ日記。
昨日、夕暮れ時に熱いシャワーを浴びていたら、流しっぱなしのラジオからかAdeleの『Hello』が聴こえてきた。
それから今までずっとずっと、その歌が頭から離れず、何度も何度も口ずさんでいる。歌詞をちゃんと覚えていなから全部は歌えないけれど、昨日の夜ジャンクなワインを飲みながら、今日朝起きて掃除をしながら、そしてさっきランニングをしながら、今もこの日記を書きながら、うろ覚えの『Hello』を口ずさんでいる。
Hello, it's me
I was wondering if after all these years you'd like to meet
To go over everything
They say that time's supposed to heal ya
But I ain't done much healing
いままでの時間の中で、謝りたくても謝れなかった人、ごめんなさいって言いたかったけれど言えなかった人って、すっごくたくさんいるなあって、さっきふと思った。
これから、そのすべてのひとたちに、ごめんなさいって言おうとはもちろん思わないし、そのすべてのひとたちに、ごめんなさいって言える日なんて来ないだろう。
ぼくが気付いたのは、そういう事柄ではないから。
ただ言える人には、言うべき人には、言おうと思った人には、気付いた時点で、何年たった後でも、「ごめんね」と、「ごめんなさい」と言いたいし、ぼくはいままでにも真剣に言ってきた気がする。
これからも、そういうことはきっとあるだろう。
いまでも、ごめんなさいと言いたい人は、言うべき人は、山ほどでもないけれど、数人いる。だけれど、真剣にごめんなさいと言うには、とんでもない力が必要で、その一つ一つに力を蓄えているから、なかなかすぐには言えないのだ。
だから、いつか言いますから、許してください。
ただもしかしたらもう、ぼくのごめんなさいは、もう受け入れてもらえないかもしれない。これまでもそういう事はあった。そんな時、ぼくのごめんなさいは、その空間にしばらく静止した後、ゆっくりと音なく地面に落ちていった。そのあとどうなったのか、その以上ぼくはそのごめんなさいを見つめていることが出来なかったから、そのあとのことはわからない。いまでもあの場所に落ちているのか、あるいは何かの死体みたいに朽ち果てて消え去ったのか、それはもうわからない。
でもそれはそれでもいいさ、ただいつか、言いますから。
そういえば、最近小説を全力で書いていないなあ。少し心が疲れちゃってて、なんだかうまく書けないのさ。
でもさ、「小説を書くぜ、こんちくしょう!」と叫んでから数年、それまでも細々としたモドキの短い文章の類は書いてきたが、小説とは到底呼べるようなものではない路傍の砂利だった。
でもこの数年、まあ、そんな砂利と大差のない文章かもしれないが、短いものからちょっと長いものまで、超短編から中短編まで、300近い“小説”を書き続けている。三年ちょっとほどで300、駄文だとは言え、それこそ正に砂利も積もればだなあとは、さっき改めて感じたけれど。
しかし、「継続は力なり」という言葉は圧倒的に嫌いであり、砂利、もとい塵が積もっても山にはならないという持論がある。継続とは別の種類の力があるし、塵の山は、数百億年ならまだしも、たかだかいち人間の命の時間に積もった塵など、誰かの吐息であっけなく吹き飛ぶ程度だろう。
ここまで書いて、なんだか虚しくなる。
虚無がやって来るぞ、走れ、走れよ、おれ!
メロスみたいに誰かのためには走れないかもしれないけれど、ぼくはあてもなくどこかを目指して、いまでも走ってはいるはずだろ。
これから、熱いシャワーを浴びる。熱いシャワーを浴びて、映画を観ながら、クソジャンクなワインを飲みながら、今日一食目のごはんを食べる。この頃は日に一食しか食べないから、一食目でも二食目でもなく、きょうのごはんを食べる。
山盛りのレタスサラダに柚子マスタードのドレッシング、スパゲッティアラビアータ、鶏胸肉のモッツァレラチーズ焼き、一袋10円で売ってたパン耳を軽く焼いて。きょうはそんなもんだろう。
Hello from the other side
I must've called a thousand times
To tell you I'm sorry
For everything that I've done
もしもし、元気でやってるかい?
ぼくはまあ、それほど元気じゃないけれど。
月白 貉