ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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第零話 - 現像 -

ぼくが毎朝、駅まで向かう途中で通り抜ける小さな自然公園の遊歩道で、毎日ではないのだが、必ず同じ時刻に公園内ですれ違う女性がいる。

 

髪は健康的な心地の良いショートヘアーで、上品だがなにか常識を外れたような黒縁のメガネをかけていて、会うたびに耳や首にはちょっと目を引くユニークなアクセサリーを纏っている。

 

やけに禍々しい魚の偶像のようなターコイズ製のオブジェクトが連なったネックレスや、ネス湖の怪物のようなイヤリングや、時には片方の耳だけになにか見たことのない昆虫のような複雑な造形の色鮮やかな装飾品を輝かせていることもある。

 

彼女を見かけたはじめの何度かは、影を覆うようにしてうつむき気味にゆっくりと歩く姿に、そして少し右足を引きずって歩くような違和感のある歩調に、やや物暗い陰湿なイメージを抱いていたが、ある日ふと彼女の容姿や、服装や、そしてなによりも身に着けている物の彩りに気が付いた時、瞬間的ではあるのだが、異世界に引き込まれるような思いを抱いた。

 

ただ、ひとつ気になっていることがあった。

 

ぼくは毎日の行動を固定することを、可能な限り避けて生活していた。それは日々の全般に及んでいて、仕事場への行き帰りのルートや時間帯、買い物をする場所、乗車する電車の車両内の位置、細かく言えばもっともっと、かなり多岐にわたる行動を、"誰か"に知られないようにという、わけのわからないルールを重んじていた。なぜそんなことをしているかという理由はまったく下らないもので、とあるスパイ映画で出てきた謎の老人が言い放ったセリフが、あまりにもかっこよかったからという、ただそれだけのことだった。

 

「もしこのクソみたいな世界を楽しみたかったら、生活スタイルを固定するな。毎日毎日、別な世界を歩め。」

 

もちろんそれは朝、駅に向かうために通過する自然公園内の時間帯やルートにも及んでいた。ただある日、その自分の行動を踏まえて彼女との朝の出会いを考えていた時、圧倒的におかしな部分があることに気が付いた。

 

公園内を通って駅に向かう道にはいくつかのルートがある。単純に言えば基本5つのルートがあり、組み合わせによってその道筋はかなりな数に及ぶ。けれど、公園内で彼女と出会うのは決まった同じ道筋ではなく、様々なルート上で、けれど必ず同じ時間にすれ違っている。

 

先月だけで考えてもすれ違ったのは14回、ぼくがルートだけでなく時間帯も細かく考えて公園内を通過してることを考えると、つまりすれ違う時間がほぼ同時刻だということは、異常なことではないのかと思うようになった。

 

それこそ、恐怖さえ感じた。

 

そんなある日、再びその彼女とすれ違ったある嵐のような大雨の日、彼女はぼくに唐突に話しかけてきた。

 

「あの、ごめんなさい、あの・・・、おはようございます。」

 

「あっ、おはようございます。」

 

「あの・・・、」

 

「はい、なにか・・・?」

 

「お急ぎですよね、いつもすごい速さで歩いていらっしゃるから。」

 

「いえ、いつも・・、いやまあ、そうですね。」

 

「先日、あなたがこれを落とされたので、私拾ったんです。その時すぐに言えば良かったけれど、気が付いたらあなたはもう、すごく遠くに行ってしまっていて・・・、だから、またすれ違った時にお返ししようと・・・、」

 

「えっ、ぼくなにか落としましたか?」

 

「はい、これを、」

 

彼女がそう言って差し出したのは、随分前に亡くなったぼくの祖父の写真だった。

 

もちろん、ぼくが祖父の写真を常日頃携帯していた自覚などないし、そもそも写真嫌いだった祖父の写真など、実家にもぼくの手元にだって一枚もない。

 

ぼくは言葉を失って写真を凝視する。激しい雨音は、耳には届かなくなっていた。

 

その写真の中に立って微笑んでいる掠れたような祖父の姿、そしてその横に、がっしりと佇むもうひとりの女性のことを、ぼくはよく知っていた。

 

「これは・・・、でもぼくはこんな写真持っていないし・・・、だから落とすことなんてないけれど・・・、」

 

「ひひひっ、ひひっ、やっぱりおまえ、カガリハクトだねっ!」

 

 

月白貉