ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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黒色の噂

この町に何か邪悪なものが潜んでいるという噂は、私が小学生の頃から、いや、おそらくはもっとずっとずっと昔から囁かれている。

 

その噂は、インターネットの検索では一切探すことは出来ないし、もしあなたが町の誰かにあえて聞こうと思っても直接的かつ具体的な話は一切聞くことが出来ないだろう。

 

しかし確実に、この町の中では、まるで朝夕に町を覆う灰色の靄のようにして、その邪悪な何かの噂が囁かれている。

 

それは、町の外れにある閉鎖された鉱山の穴の最奥底、時代の知れないはるか昔の遺跡群の中にいて、時々にはそこから這い出して、夜更けや明け方、まだ世界が闇に包まれている時間帯に、町の中を彷徨くことがある。彷徨く理由は、餌を探しているからだと言われている。私の町の年間の行方不明者の数は、全国的に見ても他とは比較にならないほど多いと言われている。その多くの行方不明者が、それの餌食になっているからだと言われている。

 

それの姿を直接見たという者を私は知らない。

 

それは真っ黒い色をした人間の上半身だけの姿をしているという話もあれば、狼のような四足歩行の獣の姿をしているという話もある。もしくは大きな猿だとも言われている。

 

単体だという話もあるし、遺跡の奥に群れをなしているという話もある。

 

そのどれもが何処かで誰かに聞いたという話だった。

 

しかし、その形の整わない噂の中で揺るがない唯一のことは、いずれにせよそれは、人間を食料にしているということだった。犬でも猫でも鳥でもなく、他のどんな動植物でもなく、人間だけを食べるということだった。

 

私はその噂を、当たり前のように信じてはいなかった。もちろん幼い頃には、その噂に言い知れない恐怖を覚えていたが、当然そんなものがいるはずなどないということは、普通に考えれば単なる噂でしかないということは、理解していたつもりだ。

 

2018年が明けてすぐの雪の降る夜に、私がそれに腕を噛み千切られるまでは、そんな噂など、信じてはいなかった。

 

その日私は、噂は流言などではなく、事実なのだということを知った。

 

しかし私はそのことを、その事実を誰かに話すことはしないだろう。なぜなら誰ひとりとしてそんなことは信じないだろうからだ。もし私がこの噛み千切られた腕の傷を見せたとしても、その瞬間に私の腕を見たものが顔をひきつらせ恐れおののいたとしても、この町の黒い噂の濃度がほんの少し上がるくらいのことにしかならないだろう。

 

だから私は決意したのだ。

 

私の腕を噛み千切ったそれを、私の手で始末しようと。

 

そうすればいずれ、この町の黒い色をした噂も、次第に消え行くに違いない。

 

 

 

月白貉