ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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ダッシュして、転ぶ日記。

最近、本当に何もかも捨て去って、物も金も人もすべて捨て去って、まったく知らない土地で、日本じゃなくて外国とかで、あるいは地球外とかで、もうまったく違う生き方をしたいなあと、ちょっと本気で思ったりする。

 

疲れてんのかもしれないけど。

 

でもそういうのって、ずいぶん楽しいだろうなあって、日課のジョギングをしながら考えていた。

 

今日ジョギングをしていて、一定の緩やかな速さで走っていて、ふと、もう何年も本気でダッシュしていないなあと思った。いま本気でダッシュしたら、どのくらいの速さで走れるのかなあと思った。そしてダッシュしてみようと思った瞬間に、脚が絡んで転ぶんじゃないのかなあと思って、やめた。

 

ダッシュするのをやめた直後に、ふと、そういえばもう何年も本気で激しく転んだりしていないなあと思った。歩いていて軽く躓くことはあるけれど、例えば子供の頃みたいに本気でダッシュしている最中に躓いて、地面に顔面からスライディングして額からドクドク流血するみたいな転び方はしていないなあと思った。

 

それはなぜかと考えたら、ゆっくり歩いたり、ゆっくり走ったりしているだけで、ダッシュしていないからだろうなあ、という結論に至った。

 

そうしたら無性にダッシュしてみたくなった。

 

出来る限りの力でダッシュしてみて、そして大いに激しく転んで、首の骨が折れて血を吹き出して死んでも、いまだったら何の悔いもないだろうなあと、そんな風に思えた。

 

つまり、何か小さなことのために、日々いろんなことを我慢しながら生きるんじゃなくて、生きるなんてもっとハチャメチャでいいじゃないかということさ。

 

ハチャメチャに素敵な新天地は、本気でダッシュして、大いにすっ転んで死にかけた、その先にあるはずだ。

 

というわけで、気分が落ち込み気味だった肝心要の火曜日だが、その落ち込み風味を体から振り払うために、いまから外に出て猛烈ダッシュして、両膝を擦りむいて骨が出るくらいにすっ転んでみようかと目論んでいる。

 

ちなみにいま、最後に激しくすっ転んだ日のことを思い出した。

 

もう五年ほど前の1月2日、知り合いの家で大酒を喰らって、夜中の二時くらいに歩いて家に帰ろうとしたら、知り合いが、「これに乗って帰れよ。」と言って、BMXみたいなトリッキーでスポーティな自転車を貸してくれた。ぼくはだいぶ酔っ払っていたので、最初はかなり慎重にその自転車に乗って家を目指していたのだが、もうあと少しで家に着くというところで直線の道路に出た時に、正月二日の誰もいない真っ直ぐな道路の開放感に興奮して、立ちこぎをしてとんでもないスピードを出してしまった。

 

その直後、ちょっとしたハンドル操作のミスでバランスを崩し、ハリウッド映画ばりに自転車のボディから放り出されて宙を舞ったあと道路に落下し、地面に激しく胸部を叩きつけてしまった。

 

息ができず、絶叫に近い叫び声も潰れて声にならなかった。そのまま音無きうめき声をあげながらしばらくアスファルトの上に倒れていたぼくは、誰かに助けを求めようと思って電話を掛けたのだが、誰ひとりとして電話に出てくれる人はいなかった。

 

仕方なくぼくは胸をおさえながらヨロヨロと立ち上がり、遥か彼方に突っ伏している自転車を起き上がらせると、家までトボトボと歩いて帰って、そのまま眠ってしまった。その時は酒に酔っていたために胸の激しい痛み以外は感じていなかったが、翌日目を覚ますと体中が擦り傷と切り傷の嵐で、服も血だらけだった。

 

そして、肋骨が数本折れていた。

 

教訓:酔っ払い運転(自転車)はやめよう!

 

最後に、日記とはまったく関係ないけど、SFっぽい短編小説が書きたくて、なんとなくコンセプト・ヴィジュアルを考えてたから、それ掲載して、今日はいまからダッシュして、道路で寝る。

 

グーテナハト。

 

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スーパーマリオブラザーズ

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月白貉