ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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永遠に奈落の底にいるもう一人の自分と、吸血鬼が血の色を欲するお子様ハロウィン日記。

気分が奈落の底まで落ち込んだ時、あなたはどんな風にして這い上がってくるだろうか?

 

ぼくは昔から、大抵は激しい運動で体を動かして、何も考えられなくなるくらいヘトヘトになった後にしばらく放心してから、酒を飲む。

 

ある程度の時間生きていると、本当に些細なことで、人の心は奈落の底に落ちがちである。 

 

これまで何度となく、奈落の底に落っこちては這い上がり、また落っこちては這い上がりを繰り返しているような気がする。もっと言えば、それが生きるということなのだろう。

 

だから結局、生きるってのは、仕事がどうだとか、お金がどうだとか、結婚がどうだとか、生活環境がどうだとかってことよりも、如何にして奈落の底から這い出してくるかということなのである。

 

今日は唐突に勃発した本当に些細なことで、奈落の底ではないにせよ心が穴凹に落ち込み、あんまり文章とか書ける余裕がないし、食事を作る気力もないので、残念ながら小説の続きに手は付けないし、数ヶ月ぶりに自炊ではなく、スーパーで売っている出来合いのお惣菜を買ってきてしまった。でもサラダは自分で作る。もちろんドレッシングも当然自分で作る。シンプルな素材ベースのサラダとドレッシングがない夕餉などというものは、今のぼくにとっては、底のない奈落に等しい。

 

ちなみにスーパーに買い物に行ったら、ハロウィンのカウントダウン祭的なものが開催されていて、白地に黒線だけで描かれた化け物のシールが無料で配布されていて、それに用意してある色マジックで塗り絵をしてボードに貼り付けることが出来るという企画を開催していた。基本的には子供向けに用意されたイベントだろうが、小学生を大いに下回る子供たちに混じって、ぼくは本気で塗り絵をしてボードの最上部に貼り付けて、大満足で家に帰ってきた。

 

化け物シールは、布をかぶったゴーストだったり、唐傘お化けだったり、フランケンシュタインの怪物だったり、吸血鬼だったりして、ぼくはフランケンシュタインの怪物をチョイスしたかったのだが、どうやらなぜかそれが一番人気だったらしく在庫切れしていた。仕方なくダダ余っている吸血鬼をチョイスし、本気の塗り絵を満喫してきた。

 

その塗り絵のことを思い出して今こうやって文章を綴っていたら、いつの間にか、心が薄暗い穴凹から這い上がってきていた。

 

といったわけで、奇しくもあっさりと穴凹から這い出てきたことだし、そろそろスイッチをきって、買ってきた鶏の唐揚げで発泡酒でも飲もう。

 

今日の教訓:赤のバリエーションが皆無の、色数が極端に限られたカラーマジックだけでは、吸血鬼の口から垂れる血が表現しにくい。

 

永遠に奈落の底にいるもう一人の自分と、吸血鬼が血の色を欲するお子様ハロウィン日記。

 

 

 

Alien: The Coloring Book (Colouring Books)

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月白貉