ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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聾のもの

朝七時にたっぷり過ぎる朝食を摂り、食後の洗い物を済ませてから洗濯機の中に汗にまみれた衣服を叩き込み、洗濯を開始する。轟々と唸りを上げる洗濯機の音と窓の外から流れ込んでこんでくる初秋の涼やかな風がやけに相性良く感じるのは、巨大な滝壺にいる感覚に似ているからかもしれない。

 

その心地よい時間を洗濯が終わるまで如何様に過ごそうかと考えた挙句、窓に面した部屋の畳の上に座り込み、ちゃぶ台の中央に置かれていた『金枝篇』を手にとることにする。フレーザーによるこの大著を私はまだ半分も読んだことはなかったが、時々思い立ったようにその同じ箇所のページを何度も何度も捲り読み返すことを好んだ。

 

しばらくそんなことをして時間を潰していると、唐突にインターフォンのチャイムが鳴った。時刻はまだ午前八時に達していない。私は基本的には、自宅への不意の来訪者に対して門戸を開け放つことを嫌っている。ただ我が家のインターフォンはモニター付きになっているので、いったい誰がインターフォンのチャイムを鳴らしているのかを確認することはする。そしてもしそれが明らかな知人であったり、不意は不意でも何かの配達員であることが明確な場合には受け入れることもある。

 

その時モニターに映し出されたのは見知らぬ老人だった。

 

その老人は真夏に自宅でくつろいでいる時にでも身に付けるような白い短パンに白いランニングシャツという出で立ちをしている。秋のはじめの、ましてや外出時の装いではありえない。さらに頭部全面を覆うように包帯をぐるぐる巻きにしている。頭だけ見れば古いアメリカ映画のミイラ男にさえ見えた。老人は玄関の戸には顔を向けず深く俯いていて、頻りに両手で包帯に覆われた両耳をガリガリと掻きむしっている。モニターの荒い画面では見えにくかったが、耳のあたりの包帯はうっすら血に染まっているようにも思えた。

 

いずれにせよ、やけに気味が悪かった。

 

しばらくその様子を息を殺して見つめていると、モニターの表示リミットが訪れプツンとその映像は途絶えてしまう。すると再びインターフォンのチャイムが家の中に鳴り響き、一度真っ暗になったモニターに再び玄関の外の色あせたような映像が映し出された。

 

しかし、そこには先ほどまで立っていた老人の姿はなくなっていた。

 

二度チャイムを鳴らして反応がないので諦めたのだろうと思いはしたが、一体あの老人は何の目的で我が家を訪れてきたのだろうか。あの風貌からして勧誘員などではありえないし何かの配達員だとも考えられない。可能性としては町内会の知らせを届けに来た近隣に住む老人だということも考えられるが、いままであのような老人を見かけたことなど一度もなかった。もしかするとどこぞの遠方から迷い込んできた認知症の老人が何かの記憶と混同して見知らぬ家々を訪ね歩いているのではないのかとも思えたが、老人への詮索はすぐにやめて再び畳の上に座って『金枝篇』を手に取った。

 

するとしばらくして、胸ポケットに入れていた携帯電話に着信があり、単調な音色のG線上のアリアが流れ出した。携帯電話を手にとって見ると、一昨日から泊りがけで実家に帰省している妻からの電話だった。

 

「もしもし、おはようセイジさん、あなたそっちは大丈夫!?」

 

「何だか朝から挨拶が尋常な声じゃないねえ、どうしたの?」

 

「そっちにはテレビがないし、あなたニュースやなんかも全然聞かないから、いまねえ、そっちの、うちの近所で通り魔事件があったってどこのテレビでも大騒ぎになってるのよ!」

 

「えっ、通り魔が?」

 

「誰か家に尋ねてきたりしてない?来ても絶対に玄関に出ちゃ駄目だから!」

 

「今のところ外が騒がしいようには思えないし、涼しくて気持ちのよい朝だし、静かなもんだけれど、その通り魔ってのはどんな状況なのか詳しく言ってくれよ。」

 

「詳しい状況はまだわからないらしいんだけど、とにかく犯人はまだ捕まってなくて、通り魔って言っても犯行の手口は玄関でチャイムを鳴らして出てきたところを襲ってるんだって、そうやってうちの近所の辺りで無差別に人間の耳を引きちぎってまわっている男がいるらしいのよ!」

 

「えっ、耳を?」

 

「とにかくしばらくは、誰か来てもドアを開けたら危ないらしいから、気を付けてよ!」

 

「まあそれはわかったけれど、開けないけれどさあ。この間も黒山で異常な事件があったばかりだし、なんだか近頃こんな田舎町でも物騒なもんだねえ。」

 

「あたしは予定通り明日までこっちにいて、明日の夜に帰るから、ほんと気を付けてよね!」

 

「はいはい、大丈夫だよ。明日まで家の外に出なくても、酒も食材も十分あるから、なるべく外出は控えるよ。それよりきみこそ、帰りしなに気を付けなさいよ。」

 

「はい、それじゃあね。ほんと気を付けてよね。」

 

聾のもの

 

 

 

新マギー審司のびっくりデカ耳

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月白貉