ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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朝四時に起きて、スズメはそして眠る日記

朝四時に起きて、まだ日の昇らない夜明けに家を出て、駅まで人を見送りに行った。

 

しばらくして、誰もいない街のずっと向こうの空の先に太陽が昇り始めた。

 

駅のホームを発車する電車の中で、その人は見送るぼくに手を振って泣いていた。

 

駅からの帰り道、死にかけたスズメがアスファルトに仰向けに寝転んでいて、目を瞑ったまま小さく激しい呼吸を繰り返していた。無意識に手を差し伸べそうになったのは、それが自分に見えたからかもしれない。

 

駅前の繁華街を、何組もの若い男女がフラフラしながら歩いていた。どのグループもカップルではなく、男女のバランスが不均等だった。駅前のコンビニエンス・ストアの駐車場には、地べたに寝転んで腐った植物のように眠っている若者がいた。街のそこいらじゅうには、嘔吐の跡がまるで雨の後の水たまりみたいに点在していた。

 

そんな街の中を、ぼくはひとりで無言のままあるき続け、家まで帰ってきた。

 

街を歩いている間中、その場所がまったく見ず知らずの場所のように思えたのと同時に、記憶の何処かに存在するとても懐かしい景色のようにも感じた。

 

きょうやろうと思っていることは、起きた時からすでに決めている。

 

洗濯をして、部屋中に掃除機をかけて、映画のDVDが詰め込まれた棚を一段だけ片付けて、その中から一本だけ映画を選んで、まだ午前中からワインを飲みはじめて、選んだ映画を観る。

 

いつもの日々と大して変わらない部分もあるが、いつもの日々と大いに変わる部分もある。

 

そしてもしかしたら、途中で思い付いてまったく違うことをし始めるかもしれない。

 

だって結局、そういうことが日々なのだから。

 

おはよう、そしていつか、おやすみなさい。

 

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ほっこりスズメぬいぐるみマグネット -

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ヒーリングバード 05 スズメ

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月白貉