ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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ピンク色の穴が空いている、本当はコワい入江の話。

私はあの入江の浜辺に立っている。

 

時刻は夕暮れ時なのか、空の半分が人の薄皮一枚めくった下にある生々しい肉のようなピンク色をしていて、もう半分は火葬場の煙突から立ちのぼる煙のような斑の灰色をしている。

 

私の周囲には何かが焼け焦げたような強い匂いが漂っている。

 

入江の浜辺一面はやけに白い色をした砂で埋め尽くされていて、砂以外のものは一切見当たらなかったが、入江の両脇にあるゴツゴツとした岩場には、小さな黒い人影のようなものが無数に立っていて、おかしな具合に皆ブルブルと小刻みに震えながら、私の方をじっと見ているような気がした。

 

波打ち際に目を向けると、祖母が船のオールを振り上げて、まるで餅つきでもするみたいに足元にある何かに目掛けて何度も何度も打ち下ろしている。祖母の方へ少しだけ近付いてみると、足元には血だらけの祖父が仰向けになって倒れていて、祖母は祖父の頭目掛けて木製のオールを打ち下ろしている。祖父の口は浜に打ち上げられた瀕死の魚のようにプカプカと閉じたり開いたりしていて、片方の目玉が潰れて垂れ下がって鼻のあたりに引っかかっている。耳の穴や鼻の穴の影には、大量の蟹や貝が祖父の肉をゆっくりと慾るようにして蠢いている。そして祖母がオールを振り下ろす度に、その蟹や貝と一緒に祖父の肉片が飛び散っていた。肉片はその時の空の色を映したような、半透明のゼリーみたいなピンク色をしていた。

 

私が祖母に声を掛けようとすると、首のあたりに針で刺されたような激しい痛みを覚えた。傷みのあった部分に反射的に手を伸ばすと、掌には何かゴツゴツした洗濯板のような感触があった。大きさは自分の掌よりも遥かに大きい。私がその何かを手で握りしめて砂浜に引き落とすと、何かはプラスチックが擦れ合うような声を上げた。それは50センチはあろうかという巨大なフナムシだった。

 

ドサッという鈍い音を立てて砂浜に落ちたフナムシは、砂をかき分けながらものすごいスピードで波打ち際の祖母の方へ走ってゆき、祖母の足元でビクビクと激しい痙攣を続けている祖父の口の中に入っていってしまう。その瞬間、祖母が気が狂ったような「ギャ〜ッ!」という奇声を上げて、今までよりも手に持ったオールを大きく振りかぶったかと思うと、祖父の首元目掛けてオールの先端を振り下ろした。

 

何かが潰れるような嫌な音と共に祖父の頭がはね飛び、すぐに引き潮にゴロゴロとさらわれて海の中へ消えていってしまった。頭の無くなった祖父の胴体の首元から、先ほど口の中に入っていった巨大なフナムシが顔を覗かせていて、こちらに向けて口元の触覚をカチカチと鳴らしながら嫌な笑みを浮かべているように見えた。そしてなぜか祖母も、首だけを私の方に振り返らせて、見たこともないような、まるでまだ年端もいかない幼い子供が、大人には計り知れないような邪悪ないたずらを思いついたような笑みを浮かべていて、その口からは大きなゴカイのような生き物が、無数にダラダラと絶え間なく垂れだしていた。

 

「バアちゃん・・・、何してるんだ・・・、大丈夫か?」

 

私が祖母に声を掛けると、祖母は突然怯えたような叫び声を上げて、頭の無くなった祖父の首から顔を覗かせているフナムシを引っ張り出して抱きかかえると、私の右手にある岩場目掛けて、時々両手も使いながら四足になって走る猿のようにして走り去っていってしまった。それと同時に岩場にいた無数の影たちも、ザワザワと音でも立てるようにして岩場の奥に後退してゆき、すぐに見えなくなってしまった。

 

空の半分を占めていた肉のようなピンク色はすでに黒々とした煙のような闇に覆われていて、それに気が付いた途端、瞬く間に入江が夜へと転じていた。

 

波打ち際の深い闇の中から、ザバザバという潮の満ち引きの音に混じって祖父の声が響いてきた。

 

「シンゴ、お前、気を付けろ、すぐ逃げろ、ラゴウさんのとこに、すぐ逃げろ。」

 

「ジイちゃん、ジイちゃんか、何に気を付けるんだ?」

 

「お前といるのはバアさんじゃない、すぐ逃げろ。」

 

「えっ、どういうことだ、ジイちゃん?」

 

「ラゴウさんとこに、すぐ逃げろ。」

 

 

 

 

目が覚めると、私は客間に敷かれた布団の上で仰向けになっていた。酒を飲みすぎて眠ってしまった私を、祖母が布団に寝かせてくれたのかもしれない。ポケットに入れてあるiPhoneを手に取ると夜中の2時を少し過ぎた頃だった。

 

何か嫌な夢を見ていたような気がするが、うまく思い出せない。

 

「なあ、おまえ。」

 

ふいに背後から声が聞こえたので、驚いて体をビクンと震わせて背後を振り向くと、真っ暗な隣の部屋の中に祖母が立っているのが黒い影のようにして薄っすら見えた。

 

「あっ、なんだバアちゃんか・・・、びっくりしたよ。」

 

祖母は私の言葉にはまったく反応せず体をピクリとも動かさないまま、そこにじっと立ち尽くしていた。そしてそのまま、やけに重苦しい沈黙がしばらくの間続いたので、私は再び祖母に声を掛けた。

 

「ぼく、酒飲んでここで眠っちゃったのかな?」

 

「なあ、おまえか、おまえか、おまエカガアアアアァァァァァァ。」

 

「えっ?」

 

私はその時はじめて、隣の部屋に立っている黒い影の声が、祖母の声とはまったく違うということに気が付いた。

 

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月白貉