ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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覚えている内に書かなければ、捩れて闇に消える猿神日記。

朝、目が覚める直前に金縛りのような状態に陥った。年に何度かある奇妙な体の麻痺。寝室の空間がよじれて距離感や物の大きさの基準が狂って見える。空気中には塵のようなものが漂い、周囲からなにかの生き物の金切り声が響き、厳密には体が麻痺しているわけではなく、何か無数の手に押さえ付けられているような感覚。

 

まだ若い頃には頻繁にあったこの奇妙な金縛りは、近頃はほとんどなかったのだけれど、なにかの予兆なのだろうか。

 

そしてこの金縛りにあう時に限って、夢の内容を明確に覚えている。

 

中国らしき場所の山間部にある奇妙な寺院をバスで見学しにゆく夢。一緒に寺院に向かった親しい女性とは寺院に入る手前で些細なことから口論になり、途中で別行動になってしまう。ひとりで寺院の中を巡るが、おかしな立体的迷宮になっていて、気が付くといつの間にか薄汚れた街中の食料品店の倉庫の中にいる。周囲の人が日本語ではなく、理解できない言語で何かをまくし立てているが、ぼくが言葉がわからないことを訴えていると、その中にひとりだけ日本語が話せる老人がいて、ぼくの訴えを静かに聞いている。

 

帰りのバスの時間が気になりだしてその食料品を後にしてバス停に向かう。街の通りには、顔や体が泥だらけの人々が右往左往していて、段ボール箱やトタンや、廃材で作ったような自動車が通りを行き交っている。はるか遠くに見えるバス停には帰りのバスが到着しているのが、一緒にいた女性がどこに行ってしまったのかを心配している内に、そのバスは発車してしまう。時刻表を見ると、その日のバスは今発車したバスで最後だった。

 

徐々に日が暮れだし、どうやって帰ったらいいのかわからず、不安に襲われる。

 

すると、薄暗闇の中をトボトボと歩きながら同行した女性が姿を現す。顔にひどい切り傷を負っている。どうしたのかと尋ねると、日本語の話せる老人に肉切り包丁で襲われたという。すると、彼女の後ろから、食料品店の倉庫にいた日本語の話せる老人が何か白い布のようなものを抱えてコチラに走ってくる。まさかあの老人が彼女を襲ったのかと思い彼女に聞いてみると、振り返った彼女は違う人だという。

 

二人のところまでたどり着いた老人が、忘れ物だといって白い布にくるまれたものを地面において、すぐに走って去っていってしまう。布は血のようなものでべっとりと濡れている。すると突然彼女が狂ったように笑いだして、あの老人を始末してくると言い放って、老人の後を追って暗闇の中に消えてしまう。

 

赤黒く濡れた布を開いてみると、猿の手のような物が三つ入っている。

 

そして次の瞬間、背後から誰かに肩を叩かれたところで、金縛りが発動する。

 

夢のどこかに、あの猿がいたのだろうか?

 

さて、気を紛らわせるために、これから鶏肉を買いに行こう。

 

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月白貉