ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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“恐怖”を我が物とすることじゃあッ!ギャイイン日記

知り合いが、かつて初めてアフリカに貧乏旅行に行った際に、到着してすぐ、ダウンタウンの街中で銃で脅され、パスポートと有り金をすべてを巻き上げられたそうである。抵抗すると殺されると思い、抵抗はせずにすぐにすべてを差し出したらしい。

 

でも、その出来事が起こる前までと、その出来事の瞬間の、異国での緊張と恐怖は、すべてを失った途端に一切消え去ったと言っていた。

 

もう何も取られるものがないと思ったら、まったく気が楽になって、周囲の世界が一気に違って見えたそうだ。

 

何かをたくさん抱えて生きていると、それを奪われたり失ったりすることが、大いなる恐怖にもなってくる。その何かってものは、単に物質的なものだけではなく、例えば愛する人だったり、あるいは責任だったり信頼だったりとかいう精神的なものも含まれるだろう。

 

日常における恐怖のほとんどって、結局その何かを失うことへの怖れだと思う。そして、その何かは、自分が抱えている限りは遅かれ早かれ、必ず失われる。それが例えば物や人ではなく、精神的なものだったり、概念的なものだったりだとしても、決して失われないものなど存在しないはずである。いつかは失われる。つまりいつかは、恐怖が現実のものとなる。想像に過ぎなかった恐怖が、現実になる日が訪れるべくして訪れる。

 

だからそれが当たり前だと100%理解するか、あるいはすべてを捨て去らない限り、恐怖はなくならないだろうし、その恐怖こそを抱えて生きるということが、正常な状態なのかもしれない。すべてを捨て去るのは、容易なことではないし、おそらくある意味においては不可能に近いのだから。

 

ウィル・A・ツェペリがこんなことを言っていた。

 

「勇気」とは「怖さ」を知ることッ!「恐怖」を我が物とすることじゃあッ!

 

ギャイイン!!!!!!!

 

“恐怖”を我が物とすることじゃあッ!ギャイイン日記

 

 

 

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月白貉 - Mujina Tsukishiro