ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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短編映画『The Procedure』の、本当にコワい恐怖の手順。

世の中には意味不明なことが多い。

 

意味不明なものは意味不明のままで十分、何かに対してその意味や、あるいは理由をいちいちあげていたらキリがないし、理由や意味がなくたって世界は回っている。

 

それなのに人間は必ずそこに意味を付加したがり、理由を見出したがる。意味や理由がないと不安であり、恐怖なのかもしれない。

 

だからもし意味や理由がどうしても必要なら、自分の想像力で勝手に創り上げてしまえばいい。それなら少し安心できるだろうし、本来はそれこそ真の意味や理由なのかもしれない。

 

映画に関しても同じようなことが言える。

 

映画作品で描かれているほんとうの意味や、その表現の理由なんてものは観る側が想像して楽しむものだと思う。感じ方は人それぞれ、監督の意図したことは意図したことで、それは監督自身の意味であり、観る側の意味ではない。

 

時々映画を評論して、「あの作品の真の意味はこうだ!」などと偉そうに叫んで、さらにはそれを誰かにも無理に押し付けている人を見かけるが、あれほどバカげたことはない。それは個々が決めればいいことであり、個々で考えればいいことなのである。

 

デヴィッド・リンチが『マルホランド・ドライブ』を撮った後に、日本人のインタビュアーがリンチに対して、「この映画はいったい何が言いたかったんですか?」というバカな質問をした時、リンチはあきらかに「はっ!?」という苛立った顔をしてタバコを吸い出し、少しキレながら、「それは観る人が考えればいい。」と言っていた映像を観たことがある。その通りだと思った。

 

というわけで、そこに意味があるとか理由がなんだとかいうこと抜きにして観るにふさわしい短編映画を見つけたので、取り上げてみる。

 

前置きにも書いたように、なんの説明もいらないと思うので、もし興味のある方はご覧いただきたい。ジャンルは、ちょっとホラーかもしれない。

 

The Procedure

image source : calvin reeder on Vimeo

 

カルビン・リーダー(Calvin Reeder)の監督による『The Procedure』である、日本語の意味は「手順」とか「手続き」とかかな。

 

では、ごゆっくりどうぞ。

 

 

 

 

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月白貉