大好きだった鳥山明を、ちょっと嫌いになった理由。
ふと思い出したので、もう一年ほど前の話をしよう。
小さな旅行として広島に行った際に、たまたま開催されていた「藤子・F・不二雄展」を観覧した時の話である。
ぼくにとって藤子不二雄は、特にFは、もちろんAもだが、その作品に大いに影響を受けた人たちである。まあ影響を受けたといっても、ぼく自身が漫画家をしているというわけではないのだが、毎日毎日齧ったり舐めたりするようにして漫画を読み漁っていた。
『ドラえもん』、『21エモン』、『ウメ星デンカ』、『オバケのQ太郎』、『怪物くん』、『パーマン』、『忍者ハットリくん』などなど、ずいぶんたくさんの藤子不二雄のコミックを所蔵していたけれど、諸事情あって今はもう手元にはない。
大人になってからも、子供の頃には読んだことのなかった少しアダルトな短編なんかを読み漁った。
だから「藤子・F・不二雄展」なんて聞いて、だいぶ期待して心ときめいて行ったのだが、ちょっとがっかりな展覧会だった。
まあ時期的に想定は出来たが、客のほとんどが小学生以下の子どもたち(同伴のお父さんお母さんとね)。当然とんでもない混雑の上に、会場では展示そっちのけで子どもたちが飛び回っているため、あまりゆっくり楽しむことは叶わなかったというのもある。
そして、会場に置かれている何十体もの巨大なオブジェは、なぜかすべてドラえもんばっかりで、ほんとうにドラえもんしかなく、がっかりした。それじゃあ「ドラえもん展」じゃないか。Fの作品にはオブジェにするべきキャラクターが山のようにいるじゃないか、モンガーとかOちゃんとかさ。ぼくはモンガーとかOちゃんとか、あのタイプのキャラクターがめっぽう好きで、絵を描いたり粘土で作ったりしていたことを、いまでも昨日のことのように覚えている。主催している側は、本当にFのことを知っているのだろうかと、大いに疑問だった。Fの漫画を本当に愛していたのかと。
そして会場にはただただ、漫画の原稿が展示されていたのだが、もっといろいろと展示することはあるんじゃないだろうかと思った。Fの写真だってたくさんあるだろうし、ドキュメンタリー映像を流したっていいだろうしさ。再び言うが、Fへの愛が感じられない展覧会だった。正直に言えば、夏休みだからさ、ドラえもんを全面に出せば子供たちが、そして子供たちのおまけとして付き添いの大人たちが当然来るから、それなりの集客は見込めるだろうぜ、という、まったくもってそういう魂胆が見え見えな気が、ぼくにはしたのである。
ただ、展示の一番最後に、Fに向けたサイン色紙が、Fを慕う漫画家を始め各界の多くの著名人から寄せられていて、それだけはなかなか見応えがあっておもしろかった。
高橋留美子や吉田聡、やなせたかしもあったし、松本零士もあったし、他にもたくさんあった。それぞれの人が自分の画風で、Fの生み出した様々なキャラクターを描いているもので、個性的なメッセージが添えられていて、そこには、それぞれの漫画家たちのFへの愛を感じた。
ただ、そのサイン色紙の展示の中に凄まじい衝撃がひとつあった。
二人の超有名な、超絶有名な漫画家だけが、自分の画風で自分の漫画のキャラクターを描いていた。それは一体誰かと言えば、
水木しげるに関しては、茶碗風呂に入る目玉の親父で、たしか水色を使っていて、色合いと造形からすると「あれ、これって、ドラえもんへのオマージュでしょ?!」といったもので、メッセージもちゃんと添えられていた、「天国で待っていてください」って。水木しげるはつい先日、あの世に旅立ったから、あるいはFと再会したのかもしれない。ぼくは水木しげるの大大大ファンでもあるので、こちらの衝撃はうれしい衝撃だった。
だが、問題は鳥山明だ。そのサイン色紙には、「藤本さんへ」という文字だけと、ちょっとラフな感じで、まったく自分のタッチで、孫悟空の上半身が描かれているだけだった。
はっ?自分の漫画のファンへの、量産のサイン色紙かっ、バカかっ!!!と、絶叫してしまった。あんなものを、漫画界の巨匠の展覧会に捧げる意味があるのか?ドイヒーにも程があると、そう感じた。
ぼくはずっと子供の頃から、鳥山明も大好きだったのだが、それを見て、ちょっと嫌いになったよ。どんな経緯があったにせよさあ、そりゃあないだろ、鳥山明よ。
藤子・F・不二雄ファンブック F-Trip (ワンダーライフスペシャル)
- 作者: 藤子プロ,藤子・F・不二雄
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2016/09/03
- メディア: ムック
- この商品を含むブログを見る
月白貉