ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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山での迷惑ヤッホー防止条例、施行される。

随分前だけれど、広島の宮島に行った時の話。

 

ちなみに宮島が世界遺産だということは、現地に着いてから知ったのだが、今のところ、これで日本の世界遺産を二個制覇している。どうでもいいけれど。

 

その日は特に何の予定もなく宮島に上陸したのだけれど、せっかくなので宮島にある弥山という山に登ってみることにした。

 

山頂までの登山コースは色々あり、その時は山頂までずっと石段が続いているという大聖院コースなる道を選択。階段だから楽なのかと思いきや、石段の一段の高さが半端無く、足がずいぶんとやられたけれど、頂上からの眺めはなかなかで、山頂付近の巨石も見応えがあり、十分に満足できた。

 

山頂にはロープウェイでもゆけるので、山の上とは言え観光客でごった返していたが、登山コースの行き帰りで、つまり歩いて登るコースですれ違ったのはほとんど外国人(おそらくほとんどがヨーロッパ系)で、日本人は皆無に等しかった。

 

幼い頃によく祖父に連れられて山歩きに行ったぼくとしては、山のマナーとして、すべてのすれ違った外国人に「こんにちは!」と、日本語で挨拶をしてみた。一組だけ人相の悪いカップルに無視された以外は、みんな快く日本語で返してくれた。とあるフランス人の老夫婦にいたっては、ぼくが挨拶をする前に「ボンジュール!」と言ってきてくれたので、ぼくも「ボンジュール!」と返すと、満面の笑みだった。

 

さて、山頂でのとある出来事の話をしよう。

 

歩き疲れてベンチに腰を下ろし、ペットボトルの水をゴクゴクと飲みながら、たまたま眼の前にいた家族連れの行動をぼんやり見ていると、小学校の低学年くらいの兄弟二人が「ヤッホーって言ってみよう!」と楽しそうにはしゃいでいた。そして「せ〜のっ!」と言って二人でヤッホーを言おうとした瞬間、父親に「やめなさい!」と制止されていた。

 

「やだ!言いたい!」と制止を振り切って二人はまた呼吸を合わせるために「せ〜のっ!」と掛け声をかけ出すと、「うるさくて迷惑だからやめなさい!!」と言って父親はもっと強めに、軽く怒鳴りつけるようにして子どもたちのヤッホーを制止した。

 

なんで山の上のヤッホーが迷惑なの?と思って、頭の上に疑問符が無数に飛び出してきて、なおかつ父親が怒っている様子を見ていて、少し呆れた。

 

山といえば、もちろんヤッホーだろう。

 

ネス湖といえばネッシー、ディズニーランドといえばミッキー、そして鉄の女といえばサッチャーのように、山といえばヤッホーと相場が決まっている。

 

いつから山の上のヤッホーが迷惑になったんだろうか。ぼくの知らない間に迷惑防止条例の中にヤッホーが追加されるという由々しき事態が勃発したのだろうか。

 

山での迷惑ヤッホー防止条例、施行される。

 

電車の中で常軌を逸して馬鹿騒ぎする子どもたちを注意する親はまったく見かけないのに、山の上でヤッホーを注意する親がいるとは、ちょっと驚愕だった。

 

時代は移りゆくと言うが、もし今後日本からヤッホーがなくなるようなことがあれば、それは大いなる問題だと、ぼくには思えた。

 

もっと迷惑なことは、世間に溢れかえっているのになあ。 ヤッホーが迷惑行為なら、タバコの投げ捨てなんて、もはや無期懲役でもいいだろうに。

 

子供たちよ、日本の明日のために、もっと山でヤッホーと叫べよ。

 

 

 

 

月白貉