ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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急性Googleアナリティクス・リアルタイム・サマリー中毒

このウェブログを始めるずっと前から、Googleアナリティクスは、なんやかんやと使ってはいたのだけれど、つい最近まではほぼ、ユーザー・サマリーで月間のアクセスを見るくらいだった。

 

このウェブログをはじめてからも同じようにして、時々月間のアクセス数なんかを見ていたんだけれど、しばらくして、ふと、リアルタイムというメニュー項目があることに気が付き、まあ読んで字のごとくリアルタイムなアクセス状況が見られるのだろうなあと思って、見てみることにした。

 

サブメニューにはサマリー、地域、コンテンツ、トラフィック、イベント、コンバージョン、ふむ、なるほど。それでもって、画面左に現在のアクティブ・ユーザー数がデカデカと表示されていて、右側には分単位と秒単位でのページビュー数が表示されている。

 

その時は、アホみたいにアクセスがゼロに等しい頃だったので、当然アクティブ・ユーザー数の場所には巨大な墓標のように、現在、実に現在「0」と表示されていて、ページビュー数の空間も真空のごとく静まり返っていた。

 

荒廃した無人の惑星に降り立ったような気分だった。

 

それからしばらくして、つい最近、ちょっとだけれどアクセスも増えてくるようになってきていて、あのリアルタイムはどうなっているのだろうと思い、開いてみることにした。

 

その時はさながら、何も入っていない空っぽの水槽に水だけを入れて放置しておいたけれど、もしかしたらあの中に何か生物でも誕生しているんじゃないのか、とでもいうような、何か当ても根拠もないわずかな希望のような気分だった。

 

すると、そこには奇跡のような光景が広がっていた。

 

ぼくがそこに足を踏み入れたのは、もう午前零時を回った頃だったのだ、アクティブ・ユーザー数の場所にはなんとゼロ以外の数字が降臨した神の姿のように、そしてユラユラと形を変えながら浮かび上がっていて、ページビュー数の空間には、ベルト・コンベアに乗せられた魂のようなものが規則的な影を残しながら漂っていた。

 

こ、これがリアルタイムなのか。

 

最初それはあまりにも眩しく光り輝いて見えて、ぼくにはまともに直視できなかった。けれど次第にその光に慣れてくると、それはぼくを暖かく包み込むような柔らかい光へと姿を変え、そして実際にぼくの体を包み込んでいった。

 

そしてその画面から、刹那の時間ほども目が離せなくなっていた。

 

それから一体どれほどの時間が過ぎ去ったのか、最後に覚えているのは、リアルタイムから何とか必死で目をそらした時、時刻はすでに真夜中の二時を過ぎていたということだった。そして次の瞬間、ぼくはそのまま床に倒れて眠りについてしまっていて、気が付くともう朝を迎えていた。けれど昨夜の、いやあるいは今朝の夢の様なあの出来事は、まだ頭のなかにありありとしたビジョンとして残されていた。

 

ぼくはすぐに床から起き上がって、台所で朝食の準備をしている連れのもとに駆け寄り、あのリアルタイムが如何なるものだったかを出来うる限り、彼女に詳細に話して聞かせた。すると彼女は笑いながら、ぼくにこう言ったのである。

 

「それって中毒でしょ。」

 

急性Googleアナリティクス・リアルタイム・サマリー中毒

 

ぼくはその言葉に愕然として床に崩れ落ちた。あれが噂に聞く、急性Googleアナリティクス・リアルタイム・サマリー中毒だったのか。

 

そしてその時、ぼくは誓った。もう二度とあのパンドラの箱は開けるまいと。

 

 

 

 

 

月白貉