ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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誰も知らないインターネットの特別な使い方

「じゃあ、ユウ、もう行くけど、何か帰りに買ってくるものあるかな?」

 

「あっ・・・、いってらっしゃい、えっと、買ってくるものは・・・、えっとねえ。」

 

「斧とかそういう重いものは、持てないから無理。」

 

「えっ、斧なんかいりませんよ・・・、いや、おれ後で買い物に行くから、特にはないよ、大丈夫だよ。」

 

「よしっ、わかった、じゃあね、いってきま〜す。」

 

ナツミはそう言って、テーブルに座ってノートパソコンの画面を睨みつけているぼくの頬にキスをしてから、玄関を出ていった。 

 

ナツミと交際をはじめてから、この夏でちょうど三年が経っていた。彼女とぼくはいまはまだ一緒には暮らしてはおらず、それぞれワンルーム程度のアパートを借りて別々に暮らしている。ただ実情はといえば、彼女は自分の部屋には時々荷物をとりに帰る程度で、ほとんどの時間を彼女の部屋よりも少し広目のぼくの部屋で、共に過ごしている。だから本当はもう、ナツミの部屋は引き払ってぼくの部屋で一緒に暮らすことも考えてはいるのだが、遠方で暮らす彼女の両親に会って話をしなければならないとか云々、諸事情によりなかなか、遅々としてその件だけが前には進んでいない。

 

彼女はいま、昔ながらの喫茶店のような趣を持つ飲食店で、キッチンとホールを兼任でこなす仕事をしている。けれど、ぼくは彼女のその仕事のことをほとんど知らない。なぜ知らないのかといえば、ナツミがあまり自分の仕事のことをぼくに話さないからだった。ただそれは彼女が特に秘密主義の傾向を持っているというわけでもないだろうし、さらにはその仕事でぼくに何か後ろめたいことがあるなんてことも、おそらくは考えられない。だからただ単に、特出して話すべきことなどほとんどないと、彼女がそう考えているだけなのかもしれないが、ぼくは何故かそのことについて変に気を使ってしまっていて、一緒にいる時にはあえて彼女の仕事のことを口にはしなかったし、もちろんその店に珈琲を飲みにいったりすることもなかった。

 

ぼくが知っているのはその店の名前が「ゲーテ」というもので、しかもそれは彼女に聞いたのではなく、ぼくが店の前をたまたま通りかかった際に自分の目で確認したからで、その時も店には入らなかった。そしてこれはナツミから聞いたことだが、六十代後半の老夫婦が経営している店だということだった。その店のご主人のほうは六十代後半とは思えないような若々しさだそうで、彼女いわくどう見ても四十代だと言っていて、ぼくはそれは言いすぎにも程があると思ってはいるが、一方、奥さんのほうは軽度の認知症を発症してしまっていて、いまはほとんど店には顔を出さないということだった。つまりは、いまは彼女が、その店で今まで奥さんがこなしていた仕事のほとんどを担っているということだと、ぼくは勝手に解釈していた。

 

ぼくはその日の朝、ラゴと名乗る人物から再びウェブログへのコメントを介したメッセージが送られてきたことを、ひとまずナツミには言わなかった。そして、あの神社の裏山で起こったという不可解な事件のことも、その事件の被害者がもしかしたら、あるいはぼくの教えた情報を頼りにして、ゴラダマと呼ばれる何かを探してあの山に分け入ったのかもしれないということも、ひとまずは伏せておいた。

 

 

後者に関しては事件の内容が内容だけに、そしてこの地元で起きている事件なだけに、もちろんすでに新聞には掲載されているかもしれないし、町中の人たちの間で大きな話題になっているはずだった。だから彼女がいくらインターネットや、テレビや新聞などのメディアに無頓着だったとしても、おそらくは今日の内にどこかでその事件のことを耳にする可能性はあるだろう。ゲーテのご主人から開口一番に聞かされるなんてことだってあるかもしれないし、店に来る客たちが口々に噂話をするかもしれない。

 

だからいずれにせよ、ぼくが黙っていたところでナツミはすぐにその事件のことを知るだろうし、その周囲にばらまかれた奇妙な破片のことにも気付くだろう。そして彼女のことだから、そのことについて再びおかしな関心を示すかもしれない。

 

前略、近日参ります。

 

ラゴのコメントからそのアカウント情報にアクセスをしてみると、やはり再び、前回とはまた違ったアカウントからのコメントだということがわかった。そして彼女のそのコメントから察するに、あの日ナツミが、彼女からぼくへの伝言だと言って語った通り、あの廃神社の様子を確かめに、彼女自ら直接やってくるということに違いなかった。そして同じく伝言通りに、ぼくに宛ててメッセージを送ってきたのだった。

 

 

ラゴが直々に穴の様子を見に来るということ、そして廃神社の裏山の事件と、ゴラダマと呼ばれる石球を探していた男のこと、そういった世界に関してまったくの盲目に近いぼくでも、その点と線が描き出す何かの蠢きが、形を成さない液体のような、黒くドロドロとした半透明のモノが地面から足をつたって、さらには背中を這い上がってくるのが、その息遣いのようなものが、ひしひしと感じられてきた。それはもしかしたら、自分の中から未だ知り得ないおかしな力が湧き出てくる前兆なのではないのかとも思えて、興味深くはあったが、だがそれ以上に気が滅入るような、そして身が凍るような感覚があった。

 

ぼくが一旦ノートパソコンのモニター部分を閉じてから、鼻の奥に溜まった息を静かに吹き出して立ち上がり、台所に行って冷蔵庫を開いて、紙パックのオレンジジュースを取り出してコップに注いでいると、「ピンポーン。」というインターホンのチャイムが部屋の中に鳴り響いた。ちょうど台所の脇の壁に備え付けてあるインターホンのモニターには、漆黒のパンツスーツに身を包んで、巨大な亀の甲羅のような大きなライトグリーンのバックパックを背負った、大柄で細身の真っ白な髪の毛をした老婆の姿が映しだされていた。

 

ぼくはその時、瞬間的にそれが誰なのかを、まさに脳に電気が走るようにして悟った。それは宅配業者でもなければ、何かの集金人でも近所の町内会の人間でもなかった。かろうじてどこかの宗教の勧誘員かも知れないというわずかな可能性だけは残留したものの、電気の巻き起こした突風によって、一瞬にして吹き飛んでいった。

 

いまぼくの部屋の玄関の前に立っているのは、あの時の姿とはまったく異なってはいるけれども、紛れも無く、ラゴだということを確信した。

 

ぼくが慌ててインターホンに向かい、通話ボタンを押して「はいっ。」とそのチャイムに応えると、老婆はインターホンのカメラを覗きこむようにして軽く頭を下げた。

 

「ラゴですけれど、こちらはセコさんのお宅でよかったかしら。」

 

ぼくは飛ぶようにして玄関のところまでゆき、ドアを開けた。

 

「あら、先日はどうも、やっぱりここであってたわね、予定より早く着いちゃったけれどね。」

 

「ラゴさん・・・ですか?」

 

そこにはモニターに映っていたのとそのままの、巨大で髪の真っ白い老婆が、ぼくの前に立ちはだかるようにして佇んでいた。

 

「改めてね、ラゴと申しますよ、どうぞよろしく。早速だけれど、お邪魔してもいいかしらね?」

 

「あっ・・・、ああ、どうも、じゃあ・・・、どうぞ・・・。」

 

「はい、じゃあお邪魔いたしますね。あら、なかなかモダンでいいお部屋だわね、ここにリュックおろしてもいいかしらね。ドッコイショっと。」

 

ラゴが背負った大きなバックパックの中に一体何が入っているのかはわかならなかったが、床に置かれた時のバックパックの雰囲気から察すると、中にはずいぶんと重量のあるものが入っているのではないかと思われた。

 

「ここ、座ってもいいかしら?」

 

ラゴはテーブルの脇に置かれた椅子を指差して、こちらに豪快な笑顔を浮かべた。

 

「ええ・・・、どうぞ、あっ、いまちょっと、お茶いれますから。」

 

ぼくが緑茶の入った湯のみをふたつ持って、ラゴに向かい合うようにしてテーブルにつくと、彼女はぼくが差し出したまだ煮えたぎるような熱さのはずの緑茶を、常温の水でも飲むみたいにしてゴクゴクと飲み干した。

 

「はぁ〜、ちょっと落ち着いたわね、外がこの暑さだからさ、のどが渇いちゃってね。」 

 

「あの・・・、ラゴさん、早速なんですけど、この間の・・・、あの神社の時とは、別の方ですよね・・・?なんかその・・・、よくわかんないんですが、ぼくのウェブログにコメントを書いてくる時もいつも違うアカウントじゃないですか・・・、ラゴっていうハンドルネームはその・・・、その・・・、なにかグループの名前とか、そういうもので、その、あなたとか、この間の神社の方とか、何人かいらっしゃるって、ことなんですか・・・?」

 

「はっはっはっはっ、そうよねえ、それは確かに普通はそう思うかもしれないわねえ。あの時ちょっとゴタゴタして言いそびれちゃったから、ラゴは私一人ですよ。あの神社の時はねえ、あれは、あっ、あのお嬢さんに聞かなかったのかい?」

 

「あっ・・・、なんだっけ、カイライだとか・・・なんとか。そうだ・・・、首吹っ飛んでましたもんね・・・、ラゴさん・・・の首・・・。」

 

「そうそう、あれはねえ、まあ言うなれば式神のようなものでね、正確にはちょっと違うんだけれども、ヒトガタに私の念を込めて動かしてるのよ。だからあの土地にあったヒトガタがたまたまあのおばあちゃんのヒトガタでね、まあ私もおばあちゃんだから丁度よかったけれど、場所によっては子供だったりいろいろねえ、あるわけよねえ。」

 

「はあ・・・、なるほど、なんだかよくわかりませんが、なんとなくは・・・。たしかナツミの話だと、その時は東京にいたとか何とか言ってましたが・・・、そんな遠くから、そんなことが出来るんですか・・・?」

 

「ああ、それねえ、昔はそんなこと、もちろん私くらいの者じゃあ出来なかったけれど、今はネットがあるでしょ、あれのおかげでねえ、そういうことも出来るようになったってわけよね。」

 

「えっ・・・、ネットで・・・。」

 

誰も知らないインターネットの特別な使い方

 

「そうそう、この間もちょっと話したわね、セコさんのブログを見てるのも、そのブログにコメント書いてるのも、あれはなにもパソコンやらスマホやらを使ってやってるわけじゃないのよ、だからアカウントもバラバラになっちゃうし、書き終えたらしばらくして消えちゃうわけよね、ほっとけば。あのネットの繋がりをね、私独自の力とコチョコチョといろいろやってみたらさ、まあいろんなことが出来るようになってね。それであのヒトガタも、ずいぶんと遠方からでも操ることが出来てるってわけなのね。例えばセコさんのこの部屋を見つけるのだって、やっぱり同じでね、実際のパソコン使ったって、例えばグーグルマップ使ったってさ、なかなか見ず知らずの個人の家なんかを、住所も電話番号もわからない誰かの住んでる場所なんかをさ、容易には探せないでしょうよ、そういうことよね。」

 

「ラゴさんには、それが出来るってことですよね・・・。なんか、もう・・・、なんでもありですね、はは・・、ははは・・・。」

 

「さてと、じゃあそろそろ、本題といきましょうかね、あら、今日はあのお嬢さんはいないのかい、ナツミさん、だったかしら?」

 

「あ、はい、ナツミは今日は仕事で・・・。」

 

「あらそう、まあいいわ、それでねえ、この間の神社のことだけれどねえ、やっぱり、私の悪い予感が的中しているらしくてねえ、まだ完全に閉じられては、いないわね・・・、特に源の方のね、たぶんはあの裏山の上にある、厄介なヤミゴラがね。」

 

ラゴの体全体から、急激に何か黒い蒸気のようなものが噴出し始めた気がした。

 

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月白貉