ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

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普遍能力者の日記、あるいは世界の夢幻と現実。

私は数年前に、臨時に引き受けた仕事の都合で、人口約四百人ほどの山間の小さな町に住んでいた。

 

人口四百人といえば、日本の中でも過疎と呼ばれる部類に入るレベルだと思うのだが、実際に住んでみるとおそらくは四百人という数でさえ多く見積もられているような状態で、例えば馴染みの肉屋に合い挽き肉を買いにいった際などに、店の主人が「ちょっと多めに入れといたよ。」と口には出さずとも、馴染みの好で二百グラムの注文に対して、四百グラムもの合い挽き肉をそっと入れてくれていて、もちろん値段は二百グラムのそれしか受け取らないというようなものの如くであり、おそらくは戸籍だけはそこに置いてあるけれど、肉体はそこには住んでいない半ば仮想な人々が、肉屋の主人からの常連に対する厚意にも似たものとして、その人口というグラム数には含まれているのではないかと思えた。

 

私が見る限りでは、リアルな人口、つまりはその町で生きて暮らしている人は、二百人もいないのではないかという印象であった。

 

その町は遥か昔に鉱山として世界規模に名を轟かせた土地で古代のヨーロッパの航海図にも名が記されており、最盛期の人口は実に二十万人とも言われている。たしか西東京市あたりの人口が二十万人ほどではなかったかと記憶しているが、その二十万人もの人々は決してマヤ民族のようにある日忽然と姿を消してしまったわけではなく、時代の流れで徐々に徐々に数を減らしてゆき、そしてその人々が暮らした土地や、そこに成り立っていた道や田畑も、いまではすべて山々に飲み込まれて消えてしまっている。そして今のその町の姿はといえば、周囲から押し迫るドス黒い緑色をした粘菌の如き恐ろしき山々から逃げ延びた、疲れ果てた最後の砦の様相を呈している。

 

そんな場所に私はかれこれ二年ほど腰を下ろしていたわけなのだが、そういった濃厚な歴史をもつ特殊な場所だからかは知れないが、その二年という短い期間にもかかわらず、実に多くの不可思議な体験を得たのである。

 

まずはじめに言っておくが、私はこれまで幽霊や妖怪などというものと交流したことは一度としてないし、四行詩を洒落込んだ大予言書を執筆できるような予知能力も持っていない。そして、スプーンに触れるだけで捻じり溶かすことさえも出来ない。つまりはある部類の人々が持っているような特殊な能力とは無縁の生き方をしてきたわけで、そんな私の反対側にいる人々のことを例えば特殊能力者と呼ぶのであれば、私はそれに対しての、普遍能力者だといえる。けれど、その土地にいる間に、私が見たり聞いたりしたものは、その幽霊だか予知だか超能力だかを遥かに超えたところの、ある意味ではコズミックなものでさえあった。

 

あるいはそういった体験の多くは、実は人間個人の特殊な能力に依存するものではなく、もう少し大きな単位で、場所や、さらには時空によるものではなかろうかと、いまではそう強く思っている。つまりは仮に特殊能力者と呼ばれる人々がいたとしても、それはその個々人の能力云々で成り立っていることではなく、何かの拍子に体に出来てしまった時空の捩れなり歪みなり穴なりの成せる技で、それがどこかの強力な土地や空間と粘ついた糸のようなもので繋がっていて、その糸がおそらく何かのケーブルめいた役割を果たしていて、異世界の裂け目からの輸血のようにして、何かを受信しているからこそのものではないのかということである。

 

なぜそんな気の狂ったような思いに取り憑かれたのかといえば、その土地に住んだ私の体には異変が起きていて、それがおそらくはそういった穴であり、その穴に繋げられたケーブルで流れ来る血液のごときものであり、私はいまでもあの土地の空間の裂け目とリンクしているのではないのだろうかと、毎夜夢に出るほどにひしひしと感じる故なのである。

 

あの土地を離れた今でも、私は実際にあるモノをこの世界の中で見掛けるのである。今までは決して感じることのなかったあるモノを、感じるのである。それはおそらくは、あの土地を離れる間際に山深き地の墓所で出会った老婆によって、何か禍々しい言葉とともに自身の体から引きずり出された姿なき玉の呪いによるものなのかも知れない。ただあの時老婆に偶然出会っていなければ、私はあの腐りかけた巨樹に捻じり潰されて血反吐を吐き、さらにはあの場に転がっていた何かの動物の大量の腐りかけた肉片のように引き千切られて、深き山々の主の養分と化していたかもしれない。

 

狂った白鷺のようなギャーギャーという笑い声を上げながら、黒々とした山のさらに奥へと分け入っていったあの老婆が、いったい何者だったのかは知れない。けれどもしかすると、あれこそが特殊な能力を自らの意志で持ち得る者であり、暗き地の持つ、あるいは邪悪に渦を巻く時空の持つ圧倒的な力に対抗できる者、対抗できないまでも藻掻くことの出来る、足掻くことの出来る者ではないのだろうか。

 

「この場所はもう穴の中と同じなんだよ、見ただろあの樹を、あんたは、あんなものがいるはずはないと思ってるだろ。でも自分の目で見ただろ、この腐臭を嗅いだだろ、この無残に食べ散らかされた肉片を踏んだだろ。これが現実なのさ。現実から目を背けようと思えばいくらでも背けられる。それで成り立ってしまう場所もある。夢幻やら幻想しか見えない場所だよ。今の世界はそれで成り立ってしまっている場所があまりにも多すぎる。だからあんたは、こちらのほうが夢幻やら幻想やらだと思っているだろ。いいや違うのさ、これが、現実さ。あんたが目を背けているだけなのさ。でもねえ、穴の広がった場所では、現実からは目を背けることは出来なくなる。そういうルールが存在するのさ。ここでは、現実が見えてしまうし、その現実は一も二もなくあんたに喰らいついてくるだろうよ。わたしがあんたにしたことは切欠でしかない。それをどうするかは、いずれわかるだろうよ。いくらわたしがこうやってひとつひとつ小さなものを潰していったってきりがありゃしない。だから結局いずれは世界が現実に包まれる時が来るのさ、もうすぐだよ。その時が、あんたがそれをどうするかを決める時だろうさ。」

 

「現実・・・」

 

普遍能力者の日記、あるいは世界の夢幻と現実。

 

「余計な話が過ぎたね、こんなところで油だか水だかを売ってる暇はないんで、私はもう行くよ。じゃあね、気を付けて帰るんだよ。ここら一帯はまるで地雷原だよ、まったく・・・。」

 

「ど・・・、どこへ行くんですか・・・?」

 

「現実が漏れだした穴を閉じに行くんだよ、この先にとんでもないのがあるんでね。ああ、そうだった、それはねえゴラダマってもんだよ、マゴラダマなんて呼ぶ人もいる。まあ、わたしには名前なんてものはどうでもいいけれど、見る人が見ればあんたのそれがわかるだろうよ。」

 

いずれ世界が現実に包まれる日が来ると、それはもうすぐだと、老婆は言っていた。彼女がまさに樹々に溶けこむようにしていなくなった時、私の胸の真ん中にあった焼けるような痛みがすでに消えていたことに気付き、その数週間後に私は、その土地を後にしたのである。

 

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月白貉